『リアル』Vol.14 特設サイト

Bリーグ

日本最多・トップリーグ通算8823得点 折茂武彦・レジェンドインタビュー

北海道の為に… 46歳で未だ現役を続けるレジェンド折茂武彦。B開幕前に胸中を語る
聞き手/SPOCK(N.C.B.B)
構成・文/市川光治(光スタジオ) 取材・文/鈴木栄一 撮影/印牧広志 ©B.LEAGUE

PROFILE

折茂武彦

1970年5月14日埼玉県出身 190cm77kg
レバンガ北海道所属 SG 背番号9
埼玉栄高から日大へ進み、1993年にトヨタ自動車へ。
現在は自ら創設したレバンガ北海道の選手兼代表。

SPOCK

日本を代表するラッパーでありプロデューサーとしても類稀なる才能を見せつける「SPOCK」。
幅広い知識と音楽性が認められ「AK-69」などトップアーティストのプロデュースを担当する。
また、人気アパレルブランドのモデルを務めるほか、特別臨時講師として日本初となるPCを使った音楽教室など、教育の現場でも活躍。
スポーツやファッションのシーンにおいてもクリエイターとして注目される奇才。

きっかけ

小学生低学年で荒木大輔(当時・早実)に憧れて、野球をやっていたけど、地元のリトルリーグに行くには五厘刈りにしないといけなかった。サッカーに転向したのは、そんな理由です。そこからバスケに変えたのは、単純で3つ上の兄の影響ですよ。兄は結構上手くて、中学に上がったときは「お前、折茂の弟だろ? バスケ部入れよ」と、半ば強制的に入部させられました。中1の時は153cmだったのですが、中3では186cmと3年間で33cmも身長が伸びました。中学時代は県大会にでるようなレベルではなく、部活やってましたっていう、ただそれだけ(笑)。そんなボクに推薦の話が来たんです。ボクは勉強も含めて、いろんな意味で問題児だったので(笑)、例えば高校に行けるか悩んでた位のレベルですよ。ホント、バスケやっててラッキーみたいな感じでしたね。

高校時代

推薦の話もありましたが結局は一般試験で埼玉で一番強い埼玉栄高校に進学しました。自分で急遽決めて栄にしたんですが、五厘刈りが嫌で野球を辞めたのに、バスケ部は強制的に坊主頭という(泣)。365日、毎日練習。とにかく走らされました。地獄とはまさにこのことでした。その甲斐あって(笑)、高校2年生から、すごく得点が取れるようになって、高校3年生でインターハイでベスト8まで進み、さらには得点王を獲ってU18の日本代表に選ばれたんです。そしたらたくさんの大学から推薦の話が来ました。やべえ、オレ大学行けちゃうよって(笑)。大学は日本大学に進みました。初めての寮生活だし、先輩も怖かったけど、試合には出してもらってました。4年の時にインカレ獲って、MVPにも選ばれ、そしたら社会人からオファーが来て、ボクいい会社に入れちゃうって…そんな繰り返しでした。バスケは自分の人生においての手段といいますか(笑)。

トヨタ自動車

社会人に入る前に、日本代表になりたいと思ったんです。だったら、当時、一番弱いトヨタ自動車に入れば、試合にもバンバン出れるし、近道かなと思いました。狙い通り(笑)、22歳で日本代表に選ばれました。トヨタでは、初めは社員として働きだし、そこからバスケットだけに打込めるようにと、契約選手になりました。プロではないけどプロみたいな。クラブハウスを作ってもらったり、環境から何から全て自分が変えていきました。当時は見た目もいかつかったし、審判への暴言は当たり前、ボールを投げつけたりしてました。ファンサービスなんて面倒くさい…そんな傲慢な選手でした。とは言え、中心選手として弱小チームだったトヨタにタイトルをもたらすなどして、強豪チームに変えることに成功したんですよ。そしたらトヨタでやることなくなっちゃって。35、6歳で試合の半分しか出れなくなっていて、その時ですね「もうダメなのか?」って自問自答して、引退という二文字を意識しました。

転機

引退を考えていたボクの元に、2006年世界選手権の日本代表のオファーが来たんです。4年ぶりの日の丸でした。トヨタでは試合タイムも少ないのに、日本代表監督のジェリコは「助けてくれ」としつこく誘われました。世界選手権では全試合スタメンで全試合2ケタ得点。「まだまだ出来るわ」って思いましたね。それならトヨタで試合に出れないなら、他のチームに行こうってなったんですよ。ボクはやっぱりプロになりたかったし、プロみたいじゃなくて、プロってどういうもんか…毎日のように同い年の東野(智弥)が訪ねてきてラブコール(笑)。気がついたら東野が新しくHCに就任した北海道のプロチームに入団していました。

北海道

プロになったんですが、1年目はキツかったことしか覚えてないです。寒いし、友だちいないし、つまんないしで毎週東京に帰ってました。トヨタでは普通のことが、こっちでは通用しない。練習場は電気も通ってない高校の廃校だったし、海外合宿が当たり前だったのが、バスで7時間もかかるような稚内での合宿。しかもイベントばかり出されて、面倒くさくて…ストレスばかりでした。でも北海道の人は、たかだかバスケ選手のボクに「北海道に来てくれてありがとう」って声をかけてくれる。ファンだけじゃなくて、おじさん、おばさん、子どもたち…。そんな中、迎えた開幕戦、ホームコートの月寒グリーンドームに満員のお客さんが詰めかけてくれました。まばらな観客に慣れていたボクにとって、一生忘れられない光景でした。それまでは自分のためだけにやってたバスケでしたが、これからは北海道の人のために頑張ろうって思いましたね。2年目からは、遠征以外で東京に帰ることはなくなりました。

プレイスタイル

高校時代に走らされたお陰で(笑)、走り倒すスタイルでした。動きまくって、走りまくってノーマークを見つけるみたいな。外国人選手にもよく「クレイジー」と言われてました。段々体力が落ちてきた時に、これからどこで勝負しようって考えました。もともと速いわけでも、高さがあるわけでもない。でも人を利用するというか、スクリーンの使い方だけは誰よりも上手いと思っていました。どうやってディフェンスを引き剥がすのか、コートには死ぬほど駆け引きが詰まっています。あらゆることをやりますよ。ボクのプレイは正直キレイじゃない。みんな何をやるか知ってるくせに、それでも得点を獲る。やっぱり姑息なんでしょうね(笑)。

都市伝説

ボクはいわゆるシュート練習というものを極力やらないです。やってたら冷やかされます(笑)。シュート練習は、ただ本数を打てばいいってもんじゃないし、練習では試合と同じシチュエーションを作って打たないと意味がないというか。普通のシュート練習は、1本打ったら感じがつかめますよ。1本しかやらないということではなくて、集中して打つ1本から、いろんな情報を得る訳ですよ。感覚を研ぎすますみたいな。もともとシュートは上手い方だと思います。例えば丸めた紙くずがあります。それを部屋の端からゴミ箱に投げるとします。ほとんど入りますよ。もし外れたとしても2投目は確実に入ります。1発目でわかるわけですよ。次にこうしたら入るっていうのが。

マンガ

マンガ好きですね。ヤンジャンは一番面白く読ませてもらってました(笑)。高校生の時に電車通学のバスケ部の仲間は電車チームと呼ばれてて、彼らが電車で拾ってくるんですよ。奪うように読んでました。井上雄彦さんとも、よく一緒に駒沢でバスケをやりましたよ(笑)。

Bリーグ

団体競技のプロは野球、サッカー、そしてバスケだけなんです。まだまだバスケは日本ではマイナーかも知れませんが、野球やサッカーみたいに、子どもたちが目指せるようなプロリーグにしていきたいと思います。Bリーグは1部、2部の各18チームが東・中・西の3地区に分かれ、9月から翌5月まで年間60試合を戦います。バスケは生で観戦しないと面白くない。観に来たら絶対。ハマります。お気に入りの選手やチームを見つけて、是非、Bリーグを応援して下さい。

引退

北海道に来てから考え方も変わりました。チーム存続の危機もありました。いち選手だったボクが、経営側も兼任することになった。いつ引退してもいいくらいの気持ちでいたんですが、今はボクを求めてくれたり、応援してくれる人がたくさんいます。「北海道に来てくれてありがとう」っていう人たちに、こんなボクでも何か出来ることあるのかなって思うようになりました。だからいつまでとかじゃなくて、行くとこまで行こうと思っています。

折茂武彦伝説の続きはBリーグで!! レバンガ北海道を応援しに行こう!!!

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