ヤングジャンプ新人漫画大賞 第25回審査員の中村力斗先生先生に特別インタビュー!!
大反響のアニメも第二期を控え、ますます話題沸騰中の『100カノ』が生まれるまでを深掘り。
第1回:“運命”との出会い方。
Q: 専門学校在学中に新人賞を受賞され、その後デビューされた中村先生ですが、漫画家になるまでの経緯を教えてください。
Q: 単著、原作参加と多数の作品を執筆されていらっしゃいますが、ヤングジャンプでの執筆に至った経緯を教えてください。
初めての顔合わせの際、編集さんの方から会いに来てくださるとのことだったのですが、その頃の僕はほぼ無名の漫画家でしたのでまさかあのヤングジャンプの編集さんからお声がけをしていただけるとは信じられず、詐欺の可能性も疑っていたので集英社のヤングジャンプ編集部にてお会いする形にさせていただきました(笑)。
それから元の出版社・ヤングジャンプとで並行して連載企画の提出を続け、先にヤングジャンプでの『100カノ』の連載が決まり、連載開始直後は元の出版社との並行連載を想定していましたが、『100カノ』の作業量が思いのほか重く「この作品を細部まで妥協せずに毎週描くためには並行連載は不可能」と判断したため『100カノ』1本に全てを注ぐ現在の形になりました。
中村先生: 小学校低学年の頃に遊びで漫画を描いてみたら楽しかったので、漫画家になろうと決めました。それからノートに鉛筆やボールペンで連載漫画を描いて、友達に読んでもらったりしていました。バトル漫画もギャグ漫画も描いていましたが、とにかく絵が稚拙だったのでウケがよかったのは断然ギャグ漫画の方でした。
その後中学生になり、小学生の頃よりも「ちゃんとしたものを描こう」という意識が高まった分画力の拙さなどが気になり出してしまい、新しい漫画を描き始めてはロクに描かずに投げ出す、ということを繰り返していました。描いた量自体は小学生の頃の方が断然多かったです。
ただそれでも周りに「漫画家を目指している人間」が1人もおらず、それだけ倍率の低い職業なのであれば、高望みさえしなければ・目指してさえいればいつかはなれるだろう、今はまだ中学生だから実力も無いけれど大人になればいつか自然に身につくだろうという甘い考えを持ってのんきに生きていたのですが、卒業間近の頃に、毎週買っていた「週刊少年ジャンプ」の新人賞のページで中学生が受賞をしているのを見てようやく危機感を覚えました。
高校に入って部活で初めてつけペンを握り、高校生だけの漫画の大会や雑誌の新人賞に作品を投稿するようになりました。高校3年間でそれなりの数の作品を投稿し、高校の大会の方では1度賞をいただきましたが雑誌の方では何かの賞をとれることは1度もなく、1度筆を追ってペットトリマーに進路を変更(飼っていた犬が好きだったので)しましたが、数ヶ月後にはまた漫画が描きたくなって結局漫画制作を学べる専門学校に進路を戻しました。
専門学校時代は卒業して社会人になるまで2年しかありませんでしたのでとにかくあせってひたすら漫画やネームを描いては手当たり次第にいろんな雑誌の新人賞に投稿していました。
ちなみにこの頃、ヤングジャンプの新人賞にも何度か作品を投稿していました(笑)。
そんな中やっとある1社で賞をいただくことができ、それから担当編集さんに連載漫画の企画を送る日々が始まったのですが、担当さんからの返事が大体1~2週間おきでしたのでただ待っている時間が惜しく、その間も別の出版社の新人賞にひたすら作品を投稿し続けていました。
そうしているうちに結局別の出版社でも賞をいただき、そちらですぐに読み切りの掲載が決まり、専門学校在学中に執筆した読み切りが卒業直後に掲載、そのままその作品が連載になるという形で漫画家になることができました。