
『ゲキドウ』のスタートに連動し、本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第2弾は高校生たちに上演してもらうことを目指して創作をした、青春群像劇『いつ高シリーズ』などで人気を博す劇団・ロロが登場。さわやかな手触りながらも繊細かつ濃密に人間関係や心象風景を描き出すロロの魅力に迫るべく、作・演出を手がける三浦直之さんにお話を聞きました。
撮影◎松田嵩範 文・構成◎丘田ミイ子

作品を通じて高校生を描く上で大切にしていること
――三浦さんは高校生の心情を繊細かつ多様にとらえた劇作でも注目を集めていますが、高校を舞台とした『ゲキドウ』にはどんな印象を持たれましたか?
様々な演劇漫画を読んできたのですが、『ゲキドウ』にはまた違った魅力を感じました。演劇をテーマに据えた物語ではしばしば「役を通して他の誰かになる喜び」が描かれますが、この漫画ではその矢印が「他者」でなく「自分」に向いているというか…。役を通じて自分を再発見することや本当の声が引き出されること。その喜びに焦点が当てられていると感じました。
僕が30代男性ということも関係しているのですが、10代の頃に「弱さ」を敵視するよう植え付けられてきた感触があって…。だからこそ、10代の主人公が自分の「弱さ」を受け入れて一歩を踏み出す描写に強く惹かれました。演劇をスポ根的に収めるのではなく、ドラマセラピーとしての一面も掬い上げられている点も素晴らしいと感じました。
――三浦さんご自身が高校生やその日常を描くにあたって大切にされていることはどんなことですか?
『いつ高シリーズ』を始めたきっかけは「1つの世界で完結しない物語を描きたい」という気持ちからでした。例えば、ある物語では一人ぼっちに見えていた人が、別の物語を通した時に「この人を見守っている人がいたんだ」と気づけたり…。「どこかで誰かが見てくれているよ」と伝えたい気持ちが根底にあったんですよね。
自分の経験を物語にしているわけではないのですが、「あの時はありがとう」という気持ちは忍ばされているかもしれません。高校の頃の僕は人見知りで本ばかりを読んでいたんですけど、前の席の子がすごく積極的に話しかけてくれたんです。彼は音楽が好きで、僕は本が好きで、そういう話を共有し合う中で気づけばその周りの友達とも仲良くなって…。
――『いつ高シリーズ』に登場する個性豊かな登場人物やその多様な関係性に通じるようなエピソードです。
僕にとって、一人であることは決して恥ずべきことではなく、「ぼっちにはぼっちの楽しさがある」と思っているのですが、同時に、学生時代に閉まっていたシャッターをこじ開けてくれる人と出会えたこと、そうして人との関係が生まれたこともすごく嬉しかったんです。どちらが優れているとかではなく、一人でいる喜びも誰かと関わる喜びも同じくらい大切で…。そうした人の姿や関係性を自分なりに描けたらと思っています。
演出家として活動する中で人見知りで社会性のない自分を少しずつ脱したのですが、集団が不得意な人の気持ちもすごくわかるんです。演劇はどうしても集団創作になってしまうのですが、その枠組みに馴染めない人にとっても居心地のいい場をどうしたら構築できるか、ということはすごく考えますし、そういうことを意識しながら執筆に取り組んだり、高校生と演劇を作ったりしています。
――実際に高校生と創作を行う上で三浦さんが意識していることはどんなことでしょうか?
大人という立場から高校生を描く時にも言えることなのですが、「自分の理想を押し付けていないだろうか」という懸念についてはすごく考えますね。そういった自分への戒めも込めて、いつ高シリーズの冒頭のト書きには「ファンタジーでなければならない」という一文を記しているんです。高校生と演劇を作る時にも「これはあくまでフィクションで、君たちがこの人たちと同じである必要は全くないし、その距離を感じながら演じてもらえたら」と予め伝えるようにしています。
実際、僕が10代の頃に心打たれた青春モノの小説や漫画や映画って、そこで描かれている人たちがリアルだったから共感したわけじゃないし、むしろ現実離れしたキャラクターに心救われる瞬間があったりしたんですよね。だからこそ、「このキャラクターたちは君たちの本当の姿を映し出すものではないけど、本当じゃないから救われたりすることもあると思う」ということも学生のみんなに伝えたいと思っています。
――高校生との創作から得る発見や気づきなど、印象深かったエピソードはありますか?
表現やコミュニケーションに関する授業のある学校で講師を担当した時にまず驚いたのが、学生たちの「話を聞く力」と「思っていることを言語化する力」でした。自分が10代の頃には到底できなかったことでもあったので、すごく感動したんですよね。あと、高校生と演劇の作品を作るとなった時の最初の講義で「これまでの学校の授業で印象的だった出来事は?」と尋ねたら、「部屋の四隅に4人に分かれて、アイコンタクトだけでどの方向にいくかを決めて同じ場所に辿り着くことに成功した時が一番嬉しかった」と答えてくれた子がいたんです。
おそらくワークショップの一環だと思うのですが、コミュニケーションが通じた瞬間をこんなにも喜んで伝えてくれるその姿に胸を打たれましたね。その瞬間が学校の授業で一番印象に残っているってなんて素晴らしいことなんだろう、と思って…。そんな風に高校生の考えや発言にハッとさせられることはたくさんありますし、そうした気づきを活かした作品を一緒に作っていけたらとも思います。

演劇の原体験とロロを立ち上げるまでの歩み
――いつ高シリーズのみならず、ロロの作品には演劇だから叶えられるファンタジーとリアルが立ち上がっていて毎回感動してしまうのですが、長きにわたる演劇生活の中で、三浦さんがその表現の魅力ややりがいを感じるのはどんな瞬間でしょうか?
小学生の頃に指人形を使って、自分の街を舞台にしたポケモンごっこを友達とやっていたんです。僕がゲームマスターを担って公園にポケモンを隠し、ルールを決めて修行をしたり、新技を覚える遊びなんですけど、今の自分がやっていることはその延長線上にある気がするんですよね。
他にも、子どもが滑り台を山のように登っている姿を見ると、「演劇だ」と思うし、一つのものを別のものに見立てたり、それによって自分の想定が覆る時に喜びを感じます。それは言葉や物語にも言えることで、言葉の持つ意味や親子や恋人といった人との関係性が、作られたもののイメージから覆されていく瞬間を大事にしたいと思って演劇を作っています。
――演劇の原体験が伺えるお話です。具体的に演劇の道に進むことを意識されたのはいつ頃だったのでしょうか?
中学から「物書きになりたい」とは思っていました。母の影響もあり、家ではいつもドラマが流れ、沢山のシナリオ集があって、それらに触れるうちに「書いてみたい」って思うようになって…。脚本家の方の経歴に「日本大学芸術学部」という文字を見かけることが多かったので、当時から「ここに行こう」と漠然と決めていました。
高校で映画に夢中になったこともあり、映画学科への転科も視野に入れつつ演劇学科に進学したのですが、地方出身だった当時の僕は演劇を観たことがなかったんです。だから、演劇雑誌の過去号を取り寄せて、そこで紹介されていた団体や作品を片っ端から観て…。今思うと、一つのことをとことん調べないと気が済まない気質が演劇との出会いに繋がったのかなと思ったりもします。
――ロロの結成も大学在学中ですね。旗揚げに至るにはどんな経緯があったんでしょう?
最初のきっかけは友達の劇団の制作を手伝ったことでした。だけど、事務能力が皆無な中で制作をやっていたので心の調子を崩したんですよね。同時期に後にメンバーとなる亀島一徳くんが僕のことを面白がってくれて、「何か書いてみなよ」と背中を押してくれたんです。それをきっかけに書き始めたはいいものの、いろんなことがキャパオーバーになり、一度失踪してしまって…。相当迷惑をかけてしまったので、亀島くんに絶縁されることを覚悟して数ヶ月ぶりに大学に行ったら、「迷惑かけられたけど、三浦くんの書くものは面白いから書けたら一緒にやろう」って言ってくれて…。それに応えたい気持ちで書き上げた作品がロロの旗揚げ公演でした。

劇団を「場」として豊かに続けていくために
――メンバーとの絆や個々の魅力を尊重するロロという団体の強みが伝わる旗揚げ秘話です。そこから16年活動を続けられていますが、劇団を続けていく上で大切にしていることはどんなことですか?
「弱音を吐ける関係を作りたいね」ということは結構話しますね。性別問わずそういう関係でありたいと思うのですが、これまで刷り込まれてきた男性性や社会的な抑圧から、男性が弱音を吐きづらい空気を感じることが日常的にもあるので、「男性メンバー間でも弱音を積極的に言っていこう!」みたいなことはよく話している気がします。
あと、演出家という立場が持つ権力についてもよく考えますし、それによって誰かを傷つけないように「みんなが安心して過ごせる場所」を作りたいという思いがすごく強くあります。ただ、最近はそこに自分を入れてあげられていないことに気づき、自分も安心できないと本当の意味でみんなが心地のよい場所づくりはできないんだな、と考えるようになりました。そこは今後の課題の一つでもあるかなと思います。
――ロロという劇団のコミュニケーションの在り方や対話性が垣間見えるお話です。
大学の同期を中心に結成したこともあり、近年はとくに一緒に歳を重ねていく意義深さを痛感しています。僕は青春ものが大好きで、一人だったらそうした作風のものを書き続けていたかもしれません。だけど、30代になっていく中でそれぞれの見えている世界やライフスタイルも変わってきた。そんな中で、みんなの生活を演劇に合わせるのではなく、みんなの生活の変化に演劇を合わせていくことに関心が強くなっていった気がします。
それは創作だけでなく、「みんなが一緒にいられるコミュニティ」を劇団という形で築く上でも大事なことだと感じています。資格を取ったり、留学をしたりと自分の今関心のあることに果敢に挑戦していくメンバーをすごく尊敬していますし、20代だから作れたものがあった様に30代の僕たちだからこそ作れるものがきっとある。そういう「場」としてロロという劇団を続けていきたい。名指されてない関係性やレッテルから逃れたコミュニティをこれからも描きたいですし、そうした場所を作っていけたらと願っています。
「ロロをきっかけに演劇を初めて観た人はどのくらいいるだろう?」。ふとそんなことを思うほど、ロロとの出会いによって「演劇」という選択が生活の中に生まれた人を私は沢山知っています。
演劇を観ていると、「自分には縁のない世界だ」と置いてけぼりになったり、舞台と客席や物語と現実の距離にもどかしくなることが時々あります。だけど、ロロの演劇にはどこかに自分がいる気が、いていいんだと思える気がする。不登校になって人知れずノートの隅に詩を書き始めた自分や、あの時伝えられなかったけど本当は心で思っていたこと…。そういうちょっと誰かに知っていてほしい自分の姿が掬われている気がして「自分と世界には関係がある」と思えるんです。それは観劇というよりむしろ人生にとって大切な“肯定”の瞬間だと感じます。そして、そんな喜びを共有できる人々と出会えたこともすごく大きい。「多様性」をとても早い段階から描き続けている点もまたロロの演劇の魅力。それは演劇の内外ともに通底していて、舞台上で様々な生きがいや生きづらさを抱えながら人々が生きているように、客席でもまた世代や境遇を横断した多様な観客がそれを見つめている。ロロの公演ではそんな風景に立ち会えるんです。
メンバーの皆さんの活躍もまた劇団内にとどまらず、他劇団の公演でその存在感に魅せられることも多い。「ロロの人が出ているから観てみよう」。そんな風に演劇との新たな出会いに導いてくれる団体でもあります。だからやっぱり思うのです。ロロがいなかったらどのくらいの人が「演劇」を選ばない人生を送っていたのだろうと。何人の人と出会うことができなかったんだろうと。演劇の可能性と魅力を拡張し続ける劇団、そして、何かが違えば出会えなかった大切な人や在りし日の自分と私を繋いでくれた劇団。私にとってロロとはそういう存在です。この世界にロロが在って本当に本当によかった。心からそう思います。
丘田ミイ子プロフィール
『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。
劇団プロフィール
劇作家・演出家の三浦直之が主宰を務める劇団。2009 年結成。古今東西のポップカルチャーをサンプリングしながら既存の関係性から外れた異質な存在のボーイ・ミーツ・ガール=出会いを描き続ける作品が老若男女から支持されている。15年に始まった『いつ高』シリーズでは高校演劇活性化のための作品制作を行うなど、演劇の射程を広げるべく活動中。主な作品として、『BGM』(2023)、劇と短歌『飽きてから』(2024)など。
新作情報
ロロが高校生捧げるシリーズ
ロロいつ高シリーズ
脚本・演出:三浦直之
- 『いつだって窓際であたしたち』
- 2025年6月17日(火)~22日(日)武蔵野芸能劇場 小劇場
- 『校舎、ナイトクルージング』
- 2025年7月8日(火)~13日(日)武蔵野芸能劇場 小劇場