『ゲキドウ』 presents ヤンジャン演劇広報部 vol.3 コンプソンズ

『ゲキドウ』のスタートに連動し、本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第3弾は、類を見ぬ攻めた作劇と俳優陣の粒立った存在感で観客を圧倒する劇団・コンプソンズが登場。第68回岸田國士戯曲賞最終候補作『愛について語るときは静かにしてくれ』や最新作『ビッグ虚無』など話題に事欠かないコンプソンズの魅力に迫るべく、作・演出を手がける金子鈴幸さんにお話を聞きました。

撮影◎石川耕三 文・構成◎丘田ミイ子

「演劇」を選択した背景にあるリアル

――金子さんは高校で演劇部に所属していたそうですが、高校演劇を舞台にした『ゲキドウ』にはどんな印象を持たれましたか?

様々な描写に身に覚えがあり、思わず当時を思い出しました。そのくらい演劇部の解像度が高くて驚きましたね。運動部が演劇部に向ける煙たい視線も含めてめちゃくちゃリアルで…。

同時に、野球を辞めた主人公の気持ちもわかるというか、ただ単に「青春万歳!」という切り口ではなく、「青春の痛み」をテーマにしている作品だとも感じたので、この先の展開がどうなっていくのかが楽しみです。あと、ちょうど少し前に高校演劇の審査に携わったこともあり、高校演劇を取り巻く状況を思い出したりもしました。

――高校演劇の審査を通して、どんなことを感じたのでしょう?

これは僕が個人的に解きたい謎の一つでもあるのですが、『ゲキドウ』の主人公のように「演劇に縁のなかった運動部の人が役者として活躍する」というようなことが時々あるんですよね。運動部の子が文化祭とかでふらっと演劇をやって、学校中の爆笑をかっさらうみたいな…。お笑い芸人に運動部出身の方が多かったり、高校まで運動部だった人が大学に入って演劇に傾倒して役者としての魅力を発揮したり、高校演劇に限らずそういうことが結構あるので、人物造形や背景の細かいところにも説得力があってリアルだなと感じましたね。

――高校で演劇を始められた金子さんが、その後も「演劇を続けよう」と思うに至るにはどんな経緯があったんでしょう?

正直なところ、「演劇が好きだから」という理由で選んだわけではなかったんです。大学では映画と演劇の二つのサークルに入っていたのですが、演劇の方にはほとんど顔を出していなくて…。そんな中で「新歓公演や卒業公演で台本を書く人がいない」といった状況になって、僕が書くことになった。その流れが母体となってコンプソンズという劇団が立ち上がりました。

就職もダメ、映画もダメという中で逃避した先にあったのが演劇だった。同時に、褒められたのも演劇だけだった。そんなこんなで「演劇をやるしかないかな」と思って始めたんです。なので、演劇そのものに喜びを感じるというところになかなか至らなくて、今も至りたいと思っているところなんですよね。

「続けている」というよりも「続いている」という感覚

――演劇を続ける理由が必ずしも「好きだから」ではない。金子さんの赤裸々な回答には演劇という創作活動の複雑さやリアルが詰まっていると感じます。そんな中でコンプソンズは発足から9年、力強い作品を発表し続けていますが、劇団という在り方で演劇を作る理由は?

これもまた、端的な理由はなくて…。というのも、当初は大人計画への憧れから劇団を始めたんですけど、続けるにつれて「劇団ってなんだろう?」っていう気持ちが強くなっていったんです。その答えが今も出ていないから「劇団のここがいいんだ!」という風には僕には言えないんですよね。ただ、色んな劇団の先輩に聞いても結構同じことを言っていたりして、そういうものなのかもしれないとも思っています。

ある人が「この言葉は本当に使いたくないけど劇団って家族みたいだよね。嫌でも向き合わざるを得ないのかも」と言っていて、ちょっと共感しました。劇団を形容する時に家族って言葉を使いたくない、という話なのですが、「使いたくない」って思うこと自体がもう家族的なものになっている証なのではないか、みたいな…(笑)。外から見てすごく仲良く見えていたある劇団が、解散時にその理由を「仲良く友達でいるために解散します」と発表されていたんですけど、その感覚もちょっとわかると思ったりもしました。

――劇団というコミュニティの辛酸をもが伝わるお話です。

劇団って、本当に難しい。もはや、誰かに劇団について論文を書いてほしいくらい!何かしらのデータを取ってまとめたら、もしかすると社会的に意味のあることが発見されるんじゃないかって気がして…(笑)。そのくらい複雑で特殊なコミュニティですね。それでも対処療法じゃないですけど、とりあえず次に決まっている公演に向けて頑張る、それが終わったら、また次が決まっていて、前より面白いものができるようにそこまで頑張る。

“続けている”というよりは、そういう風に、“続いている”んじゃないかなと思います。でも、劇団がなくなった後のこと考えると、人生がすごく暇になる気はしていて…。そんなに簡単になくなれないというか、解散したとしても終わるものではないのかもしれない。こうして色々話しながら、そんな風にも思いました。

「物語」から得た感動が創作の原動力に

――リアルなお話の数々をありがとうございます。金子さんは劇団のみならず、俳優として活躍されたり、映画やアニメの台本を手掛けたりと幅広く活動されていますが、表現において「これは演劇でしかできない」と感じることはありますか?

説明がちょっと難しいんですけど、「人が目の前の人を見ること」で発生する、その状況からしか生まれないエネルギーや力みたいなものがあると思います。それは、究極「演劇」という活動からしか得られない。もちろん、映像でも俳優さんの演技を見ることはできるけれど、「人を見る」という本質的な部分は演劇にあるんじゃないかなと思うんですよね。

演劇は最も古い芸術でもありますし、人間が表現をする上での原初的な面白さがある。あと、他の創作では描けないテーマや手法が制約なく自由に発表できる場だとも思います。
「演劇だからやっちゃえること」ってやっぱりある。僕があえて演劇を選んでいる理由はそこなのかもしれないですね。

――コンプソンズの力強い作品群にも通じるお話です。そうした演劇の元となる戯曲を書く上ではどんなことをモチベーションにされているのでしょう?

執筆においては、毎回「果たしてこれは面白いのか」という葛藤が第一にあるんですけど、それに加えて「この作品を書くことに社会的な意味はあるのか」と考え込んでしまう時期もありました。最近はようやくそこから脱した感触もあるのですが、「自分が作品を発表することで何かが変わる」と信じるのは難しく、実際そんなに容易に変わるはずがないとも思っていて…。

だけど、これまでの人生で「物語」というものに強く心を動かされた経験は確かにあって、僕にとってはそうした感動が他のあらゆる出来事を凌駕する、何物にも代え難い体験なんです。そうした物語に出会えているからこそ、自分もすがるように物語を書くことを選んでいるのかもしれません。何を見ても心が動かされない時もありますが、そうしたモヤモヤの中でも心の片隅にはいつも「あの映画の、あの演劇の、あの瞬間はとんでもなく鳥肌の立つものだった!」という実感があって、そういう小石のようなものを掴みながら、自分もその感動に近づきたい思いがあるのだと思います。

――「物語」が与えた影響の大きさが一つの原動力になっているのですね。7月にはご自身にとって初となるプロデュース公演の作・演出も手がけられますが、新作の執筆にはどんな思いで臨んでいらっしゃるのでしょう?

劇団公演では「ここまで劇団として積み上げてきたものの延長に新作がある」と思って、過去の歩みを糧や礎に創作に取り組んできたのですが、外部のプロデュース公演ではそこから一旦離れて、新たな気持ちで執筆や演出に向かえるような感覚がありますね。

劇団での活動で袋小路になっていた部分も一度解き放ち、0に立ち返って、今自分が面白いと感じていることと向き合える機会でもあるので、ポジティブな気持ちで挑戦していきたいと思っています。劇団だからこそ叶えられる創作があるように、外部公演だからこそチャレンジできる創作がある。これまでとは少し違った角度で劇作に取り組むことで、一人の劇作家として成長ができたらと思っています。

――金子さんの真摯なご回答の数々を経て、最後はあえてこういう聞き方をしたいのですが、金子さんはなぜ演劇をやめないのでしょう?

執筆や創作の時間は苦しいけれど、お客さんの感想や反応を受け取った時はやっぱり嬉しいし、「次はもっとうまくやりたい、違うこともやってみたい」という気持ちが原動力になっているとは思いますね。あと、かつての演劇サークルの仲間やあまり会わなくなった友人など、人生の選択によって別々に散らばった人たちがふらっと公演を観に来てくれた時も嬉しい。

人との出会いや再会に少し寄与できた感覚というか、「演劇や劇場が一つのハブ、コミュニティや居場所として機能しているのかな」と思えて…。そういう瞬間は「演劇やっててよかった」と純粋に感じます。あと、最近10代の子に「コンプソンズを観て演劇を始めました」と言われる機会があったんです。劇団や演劇を続ける理由については明確に答えられないけれど、「自分も演劇を通じて誰かにポジティブな力を与えられていたのかも」と思えた瞬間でした。

演劇ライター・丘田ミイ子の[コンプソンズ]レコメンド

インタビューを読んで驚いた人もいたかもしれません。「演劇の魅力」を伝えるコーナーにしては、ポジティブな言葉ばかりではなかったから。だけど、だからこそ、金子さんのことを「リアルを伝えてくれる人だ」と感じた人も多くいたのではないでしょうか。そう、コンプソンズの演劇の魅力もまた同じなんです。

忘れもしない2019年、紀元前後を定義するかのような衝撃とともに、私の中にコンプソンズ観劇以前/以降という一つの区切りが生まれました。起きたことをなかったことにしない切実と、わからないものをわかったように描かない誠実。演劇というある種の「嘘」の中で、厳しくとも私たちが向き合わなくてはならない「本当」を、「今」をコンプソンズの演劇は生々しくぶつけてくれる。

社会や世界に起きているこの問題やあの問題を真っ先に取り上げるのもいつだってコンプソンズだから、時代が時代なら検閲に引っかかって観られなかったかもしれない。でも、そうした演劇が今の世には絶対に必要で、その創作に果敢に、かつ破壊的な面白さを以て挑むコンプソンズという劇団の覚悟とスタイルを私は敬愛しているのです。

劇作の力はさることながら、劇団員全員がその人にしか背負えぬ役柄を毎回ビビットに全うされていて本当に素晴らしい。他では得られない「コンプソンズ」という成分を摂取すると同時に、俳優一人ひとりからしか受信できないエネルギーを取り込むために私は劇場に足を運びます。ズバリ、“箱推し”というやつです。

いくら演劇が好きでも同じ公演を複数回観ることはそう起こらない。だけど、コンプソンズではそれを選んでしまう。そんな劇団です。最後にもう一つ。私はコンプソンズのことをこんな風にも思っています。
“観終わった後、思わず「解散しちゃうかも」って思う劇団”。
そのくらい毎回が一球入魂、渾身の仕上がり。解散の予定はありませんので、紀元前後を定義するような衝撃を心して是非目撃して下さい!

丘田ミイ子プロフィール

『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。

劇団プロフィール

2016年、金子鈴幸・星野花菜里を中心として明治大学 実験劇場を母体に発足。
ある実在の出来事を題材に事件から事件、あるいは現実から虚構を縦横無尽に渡り歩く作風が特徴。
速射砲の如く繰り広げられるナンセンスギャグとこじつけによって物語はあくまで物語としての結末を迎える。

新作情報

「きみは一生だれかのバーター」

作・演出:金子鈴幸(コンプソンズ)
7月31日(木)~8月11日(月・祝)浅草九劇

 出演 
出演:小西桜子、井上向日葵、尾上寛之、駒木根隆介、東野良平(劇団「地蔵中毒」)、金子鈴幸(コンプソンズ)、山﨑静代

新連載『ゲキドウ』第1話の続きはこちら!

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