
『ゲキドウ』のスタートに連動し、本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第4弾は “団地のような温かさと多様性”をモットーに、今を生きる人々の心を繊細に捉えた作風で話題を呼ぶ劇団・かるがも団地が登場。時にコミカルに、時にシリアスに、いくつもの視点が忍ばされたその劇作の魅力に迫るべく、作・演出を手がける藤田恭輔さんにお話を聞きました。
撮影◎石川耕三 文・構成◎丘田ミイ子

習い事の延長で演劇に出会って…
――高校から演劇部に所属していた藤田さんですが、『ゲキドウ』にはどんな印象を持たれましたか?
高校で演劇を始める動機って漠然としていて、なぜ惹かれているのか分からないまま演劇をやっている子が一定数いると思うんです。心の奥底では主人公の真柴のように「祈り」に近い感情を抱えているかもしれないけれど、そこまでの言語化がまだできない。だからこそ、そんな心の内が言葉や風景を以て訴えかけられていることに胸を打たれました。
「自分と違う人生を追体験できる」という理由で演劇や俳優の道を選ぶ人もいるし、それも一つの魅力だと思いますが、僕自身は演劇を続ければ続けるほど「どこまで行っても自分という殻から逃れられない」と感じるんです。それだけに、深く潜水するように自己と向き合う真柴の姿に共感を覚えますし、この漫画がそうした演劇の側面を抽出してくれていることを心強くも感じます。進路選択も迫る多感な時期を生きる演劇部の3人がどんな景色を見せてくれるのか。今後の展開が楽しみになる始まりでした。
――『ゲキドウ』の演劇部員もかるがも団地も3人構成ですね。そうした共通点から何か感じることはありましたか?
たしかに! 今初めてその類似性に気づきました。劇団ではあんまり意識をしてこなかったのですが、ドラマにおける「3人組」って魅力的だなとは思いますね。偶数だとペアで話が進むから人間関係も安定するイメージがあるんですけど、3人という単位は最も不均衡というか、いい意味での不安定さがあると思います。
バンドでもスリーピースバンドはサボれないじゃないですか(笑)。3人がそれぞれフルスロットルでエネルギーを放出しないといいものができないんだけど、それが噛み合ったら比類なきものが生まれそうな感じがしますよね。自劇団の特徴で言うと、意思決定は早かったりします。あうんの呼吸が汲み取りやすく、かつ意見が偏りすぎない。そういう意味では、3人で劇団を運営するっていうのは良かったりするのかもしれませんね。
――劇団を立ち上げる以前に、藤田さんご自身が演劇の道を選ぶに至るにはどんな経緯があったのでしょう?
真柴くんみたいな劇的な出会いではなく、習い事の延長で気づけば演劇をやっていた感じでした。僕は秋田県能代市出身で、地元に「能代ミュージカル」という市民劇団があったんです。地域住民が年1回公民館でミュージカルを上演する緩やかな集まりなのですが、劇団四季が好きだった母の影響もあり、物心ついた頃には姉たちがすでに入っていて、その成り行きで僕も入ることになったんですよね。
当時は「他校の友達ができる習い事」くらいにしか思っていなかったし、稽古や本番よりも出番のない時間に袖で友達としゃべっている時間が楽しかった記憶があります。でも、人前で演じたり、拍手をもらったり、そうした演劇を通じたコミュニケーションに徐々に楽しさを見出すようになって…。姉弟は中高生くらいで別のことに興味が向いたのですが、僕は高校も演劇部に入りました。
――キャリアスタートがミュージカルだったとは! 高校の演劇部ではどんな演劇をやっていたんですか?
中学くらいからお笑いが好きになったこともあり、高校ではコントをやったりしていました。バラエティ番組もよく見ていたし、僕自身ふざけるのが好きだったんですよ。休み時間に廊下で友達と冗談を言い合っている時間が好きで、それを作品として見てもらえる驚きと新鮮さがありました。廊下だったら「またバカやってるよ」と素通りされることが、文化祭のステージではまともに見てもらえて反応までもらえる。「なんて贅沢な時間なんだ!」と(笑)。そうした経験もあり、大学の前半くらいまではコメディがとにかく好きだったですよね。当時は宮藤官九郎さんの作品やヨーロッパ企画の演劇を好んで見ていました。

作品は自分や劇団の「今」を記録する“アーカイブ”でもある
――繊細な人間ドラマの中にも、クスッと笑える小ネタやギャグが随所に差し込まれている。そんなかるがも団地の作風にも通じるお話です。
今のような人間ドラマを志向するようになったのは、就活に差し掛かった頃でした。「この先演劇を続けられるだろうか」という将来への不安や進路選択に葛藤した時間が一つの転機だったようにも思います。演劇を始めた頃はただふざけているだけで面白かったのですが、演劇はその先にある、「笑い」だけじゃない感情も掬ってくれる装置なのだ、ということに気づいて…。いろんな気持ちをのせることができる演劇の魅力を再確認できたことが、劇団の基盤や今の作風につながっているのではないかと思います。
――藤田さんにとって、演劇の創作とはどんな時間なのでしょうか?
お話を作ることで、これまで自分の中で解像度を粗く理解していたことがくっきりと見えてきたり、感受性のひだが増えていったりする。「なんであの時あの人をわかってあげられなかったんだろう」、「なんで自分は今これが苦しいんだろう」と、過去や今の自分を解きほぐしていく時間でもあると思います。そうして網の目を細かくしていくことで、自分とどう向き合い、物語としてどんな落としどころを見つけられるか。
そういう意味で、作品は「この時の自分はこんなことを考えていた」というアーカイブの側面も持っているんですよね。例えるなら、家の柱に鉛筆で身長を都度刻んでいくような…。そうした行程がやがて主人公の旅の終わりと重なったりもするので、創作が自分にとって一つの癒しや救いになっているとも感じます。
――メンバーのお二人とはどんな風にそういったポリシーやビジョンを共有されているのでしょう?
メンバーの古戸森陽乃と宮野風紗音は大学の同期でもあり、僕が進路選択を前にうんうん唸っている様子も知ってくれていたし、そんな僕が書く作品にも都度寄り添ってくれているんですよね。
かるがも団地は、結成当初からやりたいことを決めすぎず、作家である僕がその時感じているホットトピックを盛り込む形で創作を進めてきたのですが、ここ数年は一旦立ち止まって、自分たちの現在地や展望を言語化して共有することが増えてきました。劇団を続けていく上では、それこそ新作の公演があったり、その振り返りがあったり、生々しい話ですが助成金の申請などもあったりするので、そうした局面で「自分たちは今何がしたいんだろう?」ということを考えてきたように思います。

「多様な人生を生きる人々の「交点」でありたい
――話題を呼んだ前作『逆光が聞こえる』では「加害性」をテーマにこれまで以上に切り込んだ劇作に挑戦をされました。そうした繊細な題材を描く上で藤田さんが大切にされていることはどんなことでしょうか?
「物語を書く」という行為は自分やその人生を振り返る行為であると同時に、その時折々の切実なトピックや長年考え続けている問題と対峙するきっかけでもあります。『逆光が聞こえる』はまさに後者で、長らく頭の片隅にあった、自分の醜さやホモソーシャルにおける過去の反省と向き合った作品でした。
こうした繊細な題材を描く時に、「言葉」によってショックを与えないか不安もあるのですが、演劇ではそこを人と積み上げながら調整することができる。「言葉」だけだと強すぎる部分を俳優の言い方や仕草、あるいは音響や照明の力も借りながら登場人物や人間関係の見え方を最後の最後まで追求することができるんですよね。それは、やっぱり小説や映像ではできないことだと思いますし、生身の人間が演じてくれることによってこそ叶えられる風景だと感じます。
その上で、極力「それが絶対の答えではない」という余地も残すようにしたいと思っていて…。「あくまで主人公はそう思ったのだ」という風に見えれば、主人公の決断=作品の全思想にはならないかなとは思って、そのあたりの見え方を大切に創作しています。台本の段階からメンバーがアドバイスや気づきを共有してくれたり、執筆に伴走してくれることも大きいと思います。
――まもなく開幕する『意味なしサチコ、三度目の朝』は、初演でも反響が大きかった作品の再演ですね。
前作『逆光が聞こえる』は、過去作の中でもシリアス度が高い作品でした。反響もいただき、嬉しい一方で、『意味なしサチコ、三度目の朝』のようなポップでコミカルな魅力も見せていきたいし、今後も作品に応じたアウトプットを選んでいきたいと思っています。
最近は3桁キャパの劇場で上演することも増えたので、演劇を通じてメッセージを送ることの影響についても考えながら、楽しんでもらえる作品にできたらと思っています。公演ではお客さんからの反応に励まされたり、気づきをもらえることも沢山あるんですよね。「今を一緒に生きていること」を分かち合える時間は尊く、それは同時に人間の生命力を感じる瞬間でもある。そうした相互のコミュニケーションこそが、演劇の醍醐味だと感じています。
――劇団名もですが、かるがも団地は自治会長、自治会副会長、庶務長とメンバーそれぞれの肩書きにも個性が滲んでいます。劇団として今後はどんな展望を描いていますか?
一つの団地にいろんな立場や境遇や性格の人が住んでいるように、演劇をやる人、やらない人、やってみたい人、かつてやっていた人、そしてそのどれでもない人…という風に自分の周囲にも本当にいろんな人がそれぞれの人生を生きています。そうした人たちの交点になるような団体でありたいし、作品を作りたい。
そういった想いは劇団を続ける上でも、劇団として演劇を作る上でも3人の共通の認識になっていると思います。決して華のある3人ではないですが、普段着のようなさりげなさで、人間への温かい眼差しや多様性を重んじる心を失わないように今後も自分たちなりの団地を運営していきたいと思います

「観たい」と思い続けながら観逃してきた劇団。そして、ようやく観られた時に「なぜあの時予定を空けなかったのだ」と悔やんでしまう劇団。かるがも団地を初めて観た日、私はまさにそんな待望と後悔が不可分に混ざり合った感動の中にいました。『三ノ輪の三姉妹』からの帰路、涙でびしょ濡れになったハンカチで汗を拭いながら、バスで来た道を歩いて帰りました。少しでも長く余韻の中にいたくて帰宅を先送りにしたあの夏の夕方を私は忘れられそうにありません(そして一週間後、私は終電を逃した勢いで友人と三ノ輪の商店街を散策…そう、聖地巡礼というやつです!)。
かるがも団地の演劇では、どこか自分に似たあの人も、全然似ていないその人も、それぞれが違う色や形や温度や湿度をした感情を抱えながら、しかし同じように懸命に今を生きています。「わたしのことをわかってほしい」と「あなたのことをわかりたい」。現実において両立の難しい二つの感情を、難しさには蓋をせず、しかし諦めずに描いてくれる。そうしていくつものすれ違いの果てに浮かび上がってくるわずかな重なりに、私は他者と生きる果てしなさと尊さ、そして祈りを感じずにはいられないのです。傷付け合わずには生きていけない人々の姿を生々しくあぶり出しながら、それぞれの痛みや傷を相対化せず、同時に誰しもが持ち得る加害性を問いかけること。「正解」を求めたがる私たちにとって、「正解のない問い」は時に苦しいものかもしれません。それでも、対岸に他者がいることを忘れない。忘れたくないと思わせてくれる。私にとってかるがも団地の演劇はそんな存在です。
最後に、私がかるがも団地を初めて観たのはわずか1年前のことでした。演劇においてはしばしば相応の時間や量がなければ語りにくい風潮を感じることがあります。でも、そうじゃない。たった一つの作品との出会いがその後の日々を、物事への眼差しを大きく変えることがある。待望と後悔が不可分に混ざり合った感動の中で、私はやっぱりそのことこそが演劇の真なる力だと思うのです。
丘田ミイ子プロフィール
『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。
劇団プロフィール

「団地のようなあたたかさ、多様性」を合言葉に2018年4月に結成された劇団。
メンバーは首都大学東京(現:東京都立大学)劇団時計で出会った藤田恭輔・古戸森陽乃・宮野風紗音の3人。
不器用ながらも懸命に生きる人々をおもしろおかしく、ちょっと切なく描きつつ、役者さんに安易に変顔をしてもらったりしています。
公式サイト
新作情報
かるがも団地 第11回本公演 『意味なしサチコ、三度目の朝』再演
脚本・演出:藤田恭輔
- 吉祥寺シアター
- 2025年8月8日(金)~11日(月・祝)
- オンライン配信
- 2025年8月12日(火)~9月14日(日)