『ゲキドウ』 presents ヤンジャン演劇広報部 vol.6 劇団不労社

『ゲキドウ』のスタートに連動し、本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第6弾は関西を拠点に据えながら、演劇人コンクール2024最優秀演出家賞をはじめ、若手演出家コンクール、せんがわ劇場演劇コンクールなど全国区の賞レースで多数の受賞を誇る気鋭の劇団不労社が登場。一度観たら忘れられない、その鮮烈な劇団の秘密に迫るべく、作・演出を手がける西田悠哉さんにお話を聞きました。

撮影◎松田嵩範 文・構成◎丘田ミイ子

タランティーノ映画の衝撃と盟友との出会い

――小・中・高とサッカー部に所属し、大学から演劇を始めた西田さんですが、『ゲキドウ』にはどんな印象を持たれましたか?

僕自身が体育会系の中で育ったこともあり、野球と演劇という距離のある世界が交わっていく様に興味を惹かれました。同時に、今自分がやっている演劇も、どこか運動部での経験の延長線上にある気もしていて、そんな重なりを思い返したりもしました。

主人公の真柴が「何者かになりきる」のではなく、「等身大のまま舞台に立つ」ところから演劇の世界に入っていく点も新鮮でしたね。俳優や作家がプライベートやパーソナルを曝け出すことは、自身の解放や作品のカタルシスになると同時に危うさも孕んでいる。そういう意味でも演劇の美しさだけでなく、険しさにも突っ込んだ内容になるのではないかと期待しています。

――西田さんご自身が長年続けていたサッカーをやめるに至ったのはどんな理由があったのでしょうか?

高校の時、長年応援していたサッカーチームが、欧州一を決める大会で悲願の優勝を果たして、その瞬間は嬉しかったんですけど、ふと「明日からまた次のシーズンに向けての準備が始まるんだ」と思ってしまい…。儚い一瞬の美しさを感じると同時に、競争のサイクルの果てしなさやその徒労感と虚しさを感じたことが一つの理由でした。

もう一つは映画に出会ったこと。中学の時に東京から富山に引っ越したのですが、閉塞感を感じる日々の中で、新しい世界を見せてくれたのが映画だった。初めて一人で映画館で観た『イングロリアス・バスターズ』が衝撃的に面白く、「いつか自分も作品をつくってみたい」と漠然と思うようになりました。僕が作・演出をやっていることも、脚本と監督を手がけるタランティーノとの出会いに端を発している気がします。

――映画をきっかけに表現の道を意識した西田さんが、演劇の道を選んだのはなぜだったのでしょう?

高校時代からの友人で、現在は「アオガネの杜」という演劇団体を主宰している中村馨くんが、高校の演劇部に所属していたんです。高3の時に同じクラスになり、「なかむら」と「にしだ」の五十音順で席も前後だったことから仲良くなって…。文化祭で演劇部の発表を見たとき、普段とは異なる佇まいで体育館の舞台に立っている彼の姿がすごく奇妙で面白く感じました。

とはいえ、当時は演劇をやるつもりはなく、大学では映画サークルに入ろうと思っていました。でも、その見学の帰りに中村くんとはまた別の高校の同級生に廊下で再会して、その人が所属していた演劇サークルの見学に誘ってもらったんです。大雨が降っていたので雨宿りくらいの気持ちで行ったんですけど、結局そのサークルに入ることになって…。

当時の映画研究部が「見る」専門だったこともあり、「つくる」ことに特化した演劇の方を選んだ感じでした。本格的に演劇に興味を持つきっかけとなったのは、松尾スズキの『ふくすけ』、宮藤官九郎の『鈍獣』、つかこうへいの『熱海殺人事件』など、昔の舞台の映像でした。その後、当時大学に教授として在籍していた平田オリザさんを通じて現代演劇を知り、さらに視野が広がりました。

「ロールモデルがいない」という強み

――席が前後じゃなかったら、雨が降ってなかったら…。ついそんなことを考えてしまう、縁深いエピソードです。不労社の立ち上げも大阪大学在学中ですが、そこにはどんな経緯が?

劇団不労社は元々サークル外での活動のために立ち上げたものでした。「劇団」と言いつつ、実際はソロのプロデュースユニットとして、先述の中村くんと東京で公演をする際や、『熱海殺人事件』を上演する際に使っていた名義でした。正直、卒業後に演劇を続けるつもりもなく、こんなに長くこの名前を使うとも思っていませんでした。

というのも、阪大出身で演劇を長く続けている先輩が周りにほとんどいなかったんです。ロールモデルがいない分、良くも悪くも憧れや先行事例がない。そこを0から作り上げることが難しさでもあり、強みでもありました。

過剰でコミカルなものと、低体温で現実に近いもの。何本か作品を上演するうちに、そのミックスに自分の作家性の活路を見出し始め、大学卒業後も少し続けてみようかと、メンバーを誘い徐々に名実ともに劇団化しはじめました。現在の劇団員は大学の同級生と先輩と後輩の5人。それぞれサークルの出自はバラバラですが、不労社ができる前から共演などを経て長年トライアンドエラーを一緒に重ねてきた仲なので、そのあたりの共通言語ができていることは劇団活動を続けるうえでもでも大きいと感じます。

――ソロユニットにメンバーが加わり、やがて多数の賞を受賞する気鋭の劇団に。その歩みを通じて西田さんが感じている劇団や演劇の魅力とはどういうものでしょうか?

不労社の作品では毎回作品単位の思想や観念のようなものを最初に作るのですが、そうしたコアな部分のシェアって、数ヶ月ではなかなか難しいんですよね。プロデュース形式だと、表に現れる部分を間に合わせることができても、深部までを共有したり、コードを整えるまでには至りにくい。

でも、劇団のメンバーとは「何をアリにして、何をナシとするか」の部分から共有できる。それは技術やメソッドを超えた、長年の会話と実践の集積の力だと思っていて…。僕たちは演劇の教育を受けているわけでもないので、バックグラウンドを共有し、固有の暗黙知をいかに増やせるかが武器だと思っています。「なんで演劇なの?」と聞かれたら、結局このメンバーとやりたいから。この人たちと作ることに代えがきかないから、自分にとっては演劇の方が口実になっている感じなんですよね(笑)。

当初、不労社は単に自分の作品を発表する場と位置づけていましたが、最近は人生や生活にまで関わる活動になっています。どこか保守的で古臭いイメージが付きまとう「劇団」という単位ですが、今後は生活と表現を繋ぐ集団のモデルとして再興する可能性を感じています。

――不労社は関西に拠点を据えながらも、東京公演や全国区のコンクールでも話題を集めています。地域を横断して活動する上で感じていることはありますか?

おそらく、不労社の演劇って関西とそれ以外の地域では印象が違うんですよ。この数年、ホームである関西では主に「集団暴力シリーズ」と銘打った本公演を上演してきました。このシリーズは、例えば「集団農場」や「ブラック企業」といった閉鎖的なコミュニティを舞台にした作品群で、明確なモチーフや物語の筋があり、舞台美術も具象的かつ大規模に建て込んだ作品が多い。一方、2022年から「FLOW series」という番外的な企画を始動し、『悪態』という作品を、タイトルをマイナーチェンジしながら、3年間各所でツアーを回っていたので、関西圏外のお客さんにはこちらの作品の方が馴染みあると思います。

これは再演やツアーが前提のレパートリー作品として、出演も劇団員に絞り、蛍光灯とラジカセがあれば最低限上演ができるコンパクトかつポータブルなパッケージにしています。本公演とは建て付け自体から真逆の仕組みの作品なんです。でも、この番外シリーズをきっかけに劇団員と一緒に動くことが増え、様々な地域のお客さんと新たに出会うことで、劇団の在り方や可能性がより明確になった実感もあって…。本公演も番外公演も、どの作品においても「演劇を初めて観る人にとっての面白さを担保したい」と思っています。僕自身が演劇に出会う機会の少ない富山という地域で育ったこともあり、どこで上演する時もその思いは変わらないですね。

遅くて、複雑。それが演劇の魅力。

――シリーズによって劇団の印象が変わっても、体験の面白さは変わらない。私自身が東京で初めて不労社の演劇を観た時の体感とも通じるお話を伺えた気がします。そんな西田さんが劇作家として大切にしていることはどんなことですか?

僕が作品を作っているのは、大層な言い方になりますが、「創作を通じて自分の思想体系を完成させたい」という思いが根底にあるからなんです。演劇は様々な人と関わらざるを得ないので、創作を通じて自分自身が否応なく変化します。変化する中でも実感を持てるものを自分の中で蓄積し、その上で、アウトプットとしては色んなアプローチや作風を試したい。

バックグラウンドや固有の暗黙知を共有している劇団であれば、そうしたトライが長期的にできるのではないか。そんな思いがあります。哲学や宗教にも関心があるし、お笑いも音楽も好き。感動したものや影響を受けたものは、分け隔てなく雑食的に取り入れたいし、ヒップホップ的に言うと、サンプリングに近い感覚なんです。これはタランティーノの創作スタイルから影響を受けた部分もあります。

サンプリングソースの多さと幅の広さ。それが自分の作家性のブレでもあり、強みでもあると思っています。作風にバリエーションはあるのですが、一貫している関心は「笑い」と「恐怖」という本能的な感覚です。両極にあるものが混ざり合った曖昧な領域、その中にこそ新しい世界の見方を手にするような手がかりがあるのではないか。そんな仮説を元に創作に取り組んでいます。

――あらゆる表現や芸術がある中で、演劇を選ぶということ。西田さんはその魅力をどんなところに感じているのでしょうか?

タイパだコスパだと叫ばれる現代においては、何かにつけて速くてシンプルなものが求められますが、演劇はまさにその真逆。遅くて、複雑なんですよね。回答が難しい問題と時間をかけて向き合ったり、答えが出せないままでも、上演してみることで気づくこともある。それもまた演劇の魅力だと思います。

演劇は資本主義が成立する以前から存在する文化なので、時間やお金の面からも、根本的に現代社会と相容れない部分がある。だから、「演劇と生活どちらを取るか」という二項対立の問いからも解放されていい。「演劇」とひとくくりにするにはその複雑さに対して言葉があまりに大きすぎるし、演劇を通じてなにを求めるかは人それぞれ違うと思います。

例えばママさんバレーはコミュニティとしての側面もあり、オリンピックを目指す競技としてのバレーとは、「バレー」という名前は一緒でも実態は異なります。プロ野球もあれば、草野球もある。演劇も同じように、関わっている人それぞれが指向するものは本来異なるはずです。自分なりの関わり方を探れば、あらゆる形で始められるし、続けられるものなのではないかと感じています。

演劇をやっていると、どうしても「売れる」とか「食える」とかの方向に話が向きがちですが、どんな生活をしたいのか、何を食べたいのか、自分なりの尺度やディテールを詰めないと、ただただ漠然としたものに取り込まれてしまう。それは賞レースについても同じで、受賞をゴールに演劇を作っていたら、必ず行き詰まると思うんです。なんで演劇をやるのか、我に返ってからも続けられるのか。そういったことを念頭に置きつつも、考えがフラつきがちな自分にとって、劇団という存在が、遭難を防ぐ錨(いかり)のような役割を果たしているとも言えます。

――現代社会における「演劇」そのものの在り方を解すような貴重なお話でした。次回公演『タイムズ』では演出を手がけられます。その見どころや今後の展望についてお聞かせ下さい。

『タイムズ』は岸田國士戯曲賞にもノミネートされたことのある大阪の劇作家・林慎一郎さんの戯曲で、10年前に黒テントの佐藤信さんが演出されている公演を観て感銘を受けました。京都芸術センターの25周年を飾る企画として、この節目にチャレンジしたいと思い選びました。奇想天外な構成で、他に類を見ない演劇になりそうなのでぜひ期待していただけたらと思います。

有り難いことに最近は、海外公演など次なるフェーズも見え始めてきました。僕たちは不労社と名乗りながらも、僕以外は正社員で働く労働者。小劇場と商業、兼業と専業、地方と都会、プロやアマといった様々な棲み分けがありますが、自分たちの活動はそれらを漂流しながら、どこにも当てはまらない。今後も関西を拠点に、既存のカテゴリーに収まらない独自の美学とスタイルを追求したいと思っています。

演劇ライター・丘田ミイ子の[劇団不労社]レコメンド

関西を拠点に活動するどえらい劇団があるらしい。演劇批評誌『紙背』の編集長であり、国内外の舞台作品の劇評を手掛けられている批評家・山﨑健太さんを通じて、そんな噂を知ったのは1年前のこと。すぐさま「劇団不労社」と検索すると、湿度の低いモノクロの劇中写真が視界を占拠。白黒であるにもかかわらず、あまりに鮮烈な俳優の表情に前のめりになりつつ、FLOW series『悪態Q』の東京公演を即予約。

そうして2024年9月6日、私の観劇史にどことも似ていない劇団不労社との、誰とも似ていない1人の劇作家と3人の俳優との異端な出会いが刻まれました。冷徹で渇いた劇場空間に当て書きされた、リミナルスペースをモチーフにした怪奇と郷愁、不在と存在。そのクエスチョンと悪態の応酬はまさに体に電流が駆け巡るような衝撃。そうして爆誕した磁場を彷徨うかのごとく歩いたあの北千住の夜が私は今でも、そしてこの先も忘れられそうにありません。

「忘れられない」という一点においてその観劇は圧倒的な、あるいは偏愛的な劇体験に振り分けされるのですが、そんな不労社の演劇の魅力を一言で、そして一作のみの印象で表現するのはあまりに難しい。不労社の主旋律とも言える集団暴力シリーズの集大成『MUMBLE-モグモグ・モゴモゴ-』、第15回せんがわ劇場演劇コンクールオーディエンス賞受賞作『サイキック・サイファー』と作品を追えば追うほどに、劇作家・西田悠哉の劇世界の開拓の終わりのなさを、俳優陣の変幻と進化の可能性を目撃せずにはいられないからです。

それでもどうにか頑張って不労社という劇団を一言で表すのであれば、やはりロールモデルなきパイオニア。普段は会社員として働く俳優たち、首都を経由せず展望する海外…演劇の、劇団の概念を解体することでしか生まれない、“今はまだ無き未来の前例”という未開地を突き進む先駆者であるということです。そう思った時、「不労」という冠にもまた新たな意味を見出さざるを得ない。<世界や社会が想定するようには>働かない。そんな逞しい劇団の存在に、私はやはり“今はまだ無き未来の演劇”を待望せずにはいられないのです。

丘田ミイ子プロフィール

『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。

劇団プロフィール

撮影◎宇治田峻

2015年に代表の⻄⽥悠哉が⼤阪⼤学を⺟体に旗揚げ。
2022年よりKAIKAアソシエイトカンパニーとして、京都を拠点に活動。
ハイカルチャーとローカルチャー、恐怖と笑いをハイブリッドに掛け合わせながら、現代社会に潜む歪な人間模様を、滑稽かつグロテスクに描く作劇を特徴とする。
近年は集団農場やブラック企業などのムラ社会的な閉鎖コミュニティを舞台とした「集団暴力シリーズ」に取り組むほか、実験的枠組として「FLOW series」を展開。
近年の主な受賞歴として、「若手演出家コンクール2022」優秀賞、「第2回 関西えんげき大賞」優秀作品賞・観客投票ベストワン賞、「第1回 日本みどりのゆび舞台芸術賞」HOPE賞、「演劇人コンクール2024」最優秀演出家賞・観客賞、「第15回せんがわ劇場演劇コンクール」オーディエンス賞など。

新作情報

KAC Performing Arts Program 2025 西田悠哉/劇団不労社『タイムズ』

戯曲:林 慎一郎 (極東退屈道場)
演出:西田悠哉 (劇団不労社)
音楽:in the blue shirt

日時
2025年8月22日(金)~25日(月)
全日程 13:00 / 19:00
会場
京都芸術センター フリースペース
(京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町 546-2)
出演
荷車ケンシロウ、むらたちあき(以上、劇団不労社)、田川徳子、知念史麻(青年団)、永井秀樹(青年団)、夏目れみ、日和下駄(円盤に乗る派)、増田知就(ブルーエゴナク)、松永檀、吉田真知子(喜劇結社バキュン!ズ)
デザイン◎岡本昌也
イラスト◎永淵大河(劇団不労社)
撮影◎脇田友(スピカ)

新連載『ゲキドウ』第1話の続きはこちら!

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