
『ゲキドウ』のスタートに連動し、本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第7弾は“ハッピーエンド”を確約する独自のスタイルが話題の東京にこにこちゃんが登場。怒涛のボケ数と笑い、可笑しくも愛らしいキャラクターたち…。劇団員不在の劇団主宰としてナンセンスコメディの最前線を疾走する劇作家・萩田頌豊与さんにお話を聞きました。
撮影◎松田嵩範 文・構成◎丘田ミイ子

「サザンになりたい」で辿り着いた演劇研究部
――萩田さんは自他ともに認める漫画愛好家とのことですが、『ゲキドウ』にはどんな印象を感じましたか?
登場人物だけでなく、読者も一緒に熱くなれる素晴らしい漫画だと思いました。タイトルがまたすごくいい! まさに内なる “激動”を描いた物語ですし、“劇の道”とのWミーンも効いていますよね。主人公の真柴が抱いていた演劇部への抵抗が部員の熱量によって溶かされて、気づけばその中心に自分がいた、という展開も生々しくて眩しかったです。
あと、真柴のトラウマが演劇によって昇華される物語性にも惹かれましたね。9話では「虎のマスクを被って舞台に上がる」というチープさが前段にあってこそ、「仮面を脱いで本音を語る」と言うクライマックスの強度が増していて引き込まれました。高校演劇としても、漫画としてもすごくいい演出だと思いました。
――たしかに、真柴の初舞台を描いた9話は観客である生徒の反応も含めて一つの佳境でした。
観客が舞台にグッと引き込まれる瞬間が描かれていましたよね。あのシーンを読んでいた時にふと思い出したエピソードがあって…。僕の高校はいわゆるヤンキー高で、極論万引きかセックスの話題しか出てこないような、文化とは縁遠い学校だったんです。そんな日々に先生も嫌気が差したのか、音楽の授業では映画のDVDが流しっぱなしになっていたんです。
基本的には騒がしい教室が、ある日ピタッと静かになった瞬間があって…。漫画を読むのをやめて顔を上げたら、『天使にラブ・ソングを2』のクライマックスが流れていて、ヤンキーたちも全員が食い入るように画面を見つめていたんです。その時、「物語によって大勢の人の心が動く瞬間って確実に存在するんだ」と思ったんですよね。
――クライマックスにこだわり抜く東京にこにこちゃんの作風や萩田さんの劇作家としての作家性にも通じるようなエピソードです。当時から演劇や表現の道に進むことは意識していたのでしょうか?
それが全くなかったんですよ。校風が肌に合わなくて、ずっと一人でお笑い芸人のラジオを聴きながら過ごしていました。「何がこの教室を支配しているんだろう?」と思った時に「ヤンキーたちの笑い」だと気づいたんですよね。じゃあ、面白くなればいいんだ。そう思って、お笑いの世界に浸っていました。かといって芸人を目指していた訳ではなく、卒業後は「サザンオールスターズになりたい」と思うようになり、青山学院大学を目指したのですが、結局和光大学に入学することに。
軽音から和太鼓まで数々の音楽サークルの門を叩きまくったのですが、全ての先々で「演劇研究部に行きなよ」とたらい回しにされて…(笑)。「サザンになりたいです」と言って、「面白いからなれるんじゃない?」と返してくれたのが演劇研究部だけだった。それが僕と演劇の出会いでした。演劇研究部の人々は訳のわからない僕のことを面白がってくれたし、それ以上に面白い人たちの集まりでした。

引き金でも救いでもあった「笑い」と「ハッピーエンド」
――大学ではどんな演劇を作っていたのでしょうか?
演劇研究部のある部室棟は学生自治区になっていて、泊まり込みで演劇を作ることもできたし、環境としてもすごくよかったんですよ。元々お笑いが好きだったこともあり、1年の時に初めてコントをやったのですが、心臓が止まるかと思うほどスベって「やっぱり物語がないとダメだ」と思ったんです。
その後初めて長編の演劇を上演した時に「これがやりたい」と確信しました。今でこそ笑いに満ちたハッピーエンドな演劇をやっているのですが、当初はとにかく沢山人が死ぬ、いわゆるバッドエンドの物語ばかりを書いていて、日本中のヤンキーを海に沈める演劇とかをやっていました。作家としての“尖り”を履き違えて、「暗い話こそが演劇だ」と思い込んでいたんですよね。
――バッドエンドの作風を経て、ハッピーエンド主義へ。その作家性の変遷や、笑いや喜劇へのこだわりの背景にはどんな思いがあるのでしょう?
僕は画家の父とパリコレモデルの母という一風変わった親元で育ったのですが、父が絵を描きすぎて頭がおかしくなっちゃって…。最後に会った時も「俺はピカソを殺す!」なんて言っていたのですが、その後父の家に行ったら、ベッドの上で死んでしまっていたんです。僕も放心状態だったのですが、駆けつけた警察官がそれよりもパニックになって、息子である僕の前で「腐っています」、「確実に腐っています」っていう報告を電話越しの上司に向かって繰り返したんですよ。
その時に思わず笑ってしまって…。このまま心を閉じてもおかしくない、絶対に笑えない出来事だったのに、その隙間に笑いが割って入ってきた。さらに隣の机を見たら、父が死ぬ前に書いたであろう『ピカソをぶっとばせ!』っていう小説があって、タイトルのダサさにまた笑えてきちゃって…。トラウマのきっかけになったのが笑いだったし、救いもまた笑いだったんですよね。だから、自分が演劇を作る時はどれだけ悲劇だろうが笑いのあるものにしたかった。
笑いは悲劇にも寄り添うし、ハッピーエンドにはもっと欠かせない。「その瞬間、否応なく心が変わる」ということを教えてくれたのが笑いだったから、ハッピーエンドな喜劇をやっていこうと決めました。
――私はまさにそのことが綴られた萩田さんのエッセイに導かれるように東京にこにこちゃんの演劇に出会いました。お葬式をハッピーにしようと奔走する可笑しな人々の姿に、気づけば笑いながら泣いていました。
父親は生前「俺は友達がたくさんいるんだ!」って言っていたのに、いざ葬式やったら僕と母親しかいなくて、「虚言癖!」ってなったんですよ(笑)。それを元に演劇にしたのが『ラストダンスが悲しいのはイヤッッ』という作品で、ハッピーエンドに舵を切った一つのターニングポイントでした。そう思うと、僕の作品はあくまでハッピーと笑いが主旋律ではあるのですが、「笑い」で隠したい、消したいって思っている暗黒が人によっては垣間見えるのかも。それも特徴の一つかもしれません。
でも、父親との死別は体験としては強烈でしたが、自分という人間の本質はディズニー映画や『ONE PIECE』をはじめとする漫画のハッピーな影響によって出来上がっているのも事実なんですよね。つまり、尖っていた時は無理して暗い演劇をやっていた。でも、その時期があったからこそ、今の作家性に辿り着けたのだと思います。

ラスト5分のクライマックスに全てを懸けて
――そんな萩田さんが「演劇をやっていてよかった」と思う瞬間はどんな瞬間ですか?
演劇をやっていると、時々客席から「ありがとう」って聞こえてくるような拍手が押し寄せる瞬間があるんです。あれはやっぱり生の演劇だからこそ感じられるもの。僕は笑いとハッピーエンドにこだわるようになってからその拍手の有り難さに気づくことができました。
僕、ラスト5分に全てを懸けているんです。終わる瞬間のクライマックスは、お客さんにも「終わる」というエネルギーの力が発生するので、その熱さと強さの向きに乗っかるべきだと思っているし、あの瞬間の呆気なさと眩しさは演劇だけ。あれを一回食らっちゃったら一生辞められないんじゃないかな。そう痛感する瞬間です。でも、あの熱量を生むためには、ちゃんとクライマックスのある物語じゃないといけない。あの拍手や光景の煌めきを手放さないためにも「絶対幸せな話にしよう」と思っています。
――「ハッピーエンド」はさることながら、早回しのスピード感、怒涛のボケ数もまた東京にこにこちゃんの演劇ならではの魅力ですよね。
『ゲキドウ』の中に、演出における「適正の温度」っていう言葉が出てきて、すごく共感しました。東京にこにこちゃんの演劇は、速度も温度も相対的に見たら過度かもしれないけど、絶対的にみたら適正なんですよ。劇団や作品によって、高温がいい時もあるし、低温がいい時もあって、まさに各々の適正温度がある。あれは演劇を知っている人じゃないと出てこない言葉だなと思いました。
あと、なによりも、東京にこにこちゃんの演劇は勘の優れた俳優さんがいてこそ成立しているんですよね。基本的に当て書きなのですが、一方的に細かく決めるのではなく、俳優さんとどんなことができるかを考えつつ、感覚に委ねられる部分を決めている感じなんです。だからこそ、あの独特の空気と爆笑が生まれる。ボケは山ほどあるのにツッコミは皆無。つまり、ひものない状態でバンジージャンプをやってもらっているようなところもあるんですけど、皆さんのバイタリティとメンタリティがとにかく凄まじくて…。だからこそ、絶対スベらせたくない! ボケ一つに関してもそんな思いで書いています。
――最新作『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』は劇団史上最大規模の公演です。最後に、その見どころと今後の展望をお聞かせ下さい。
ありがたいことに10周年公演でもあるので、絶対スベリたくないです(笑)。旗揚げ当初から出てくれている友人からここ数年の公演を支えてくれている先輩まで、最高のキャスト陣とともに総火力、総動員で挑みます。だから絶対にスベリません!タイトル通り、物語のテーマは「声」。国民的アニメのキャラクターの声優さんが変わった時に感じた寂しさを一つのとっかかりに、執筆に向き合った物語です。
視聴者の寂しさだけでなく、声優自身の切なさにも光を当てたいと思って作りました。アニメのキャラクターは死なないけれど、その声は変わってしまう。じゃあ、声は一体どこへ行くのか。忘れられてしまうのか。そんな「変わらないでいてほしかった、忘れないでいてほしい声の物語」です。今回もラスト5分のクライマックスに全てをかけて、全力のハッピーエンドでお届けします。ぜひ幸せになりに来て下さい。
東京にこにこちゃんは劇団員のいない劇団ですが、一緒に盛り上げてくれる俳優さんたちがいる。だから「普段ちょっと寂しいくらいなんだよ」と思って踏ん張れてきましたし、10年以降もがんばります。大好きな俳優さんと一緒にこんな風に作品が作れるのは演劇だけ。だから、今後映像や他の仕事をしたとしても、たとえそれが大当たりしたとしても、演劇は絶対に続けます。もし、それで演劇をやめたら嫌なやつすぎるから!(笑)。

2019年秋、私はあるエッセイに出会いました。タイトルは『ラストダンスが悲しいのは嫌だなと思った話』。そこには、筆者と父の死別の詳細が綴られていました。その死がとても静かで悲しいものであったこと。同時に「人が死んでも笑ってもいい」と思ったこと。そして最後はこんな言葉で締められていました。
「次回作のタイトルは『ラストダンスが悲しいのはイヤッッ』。死んだ父の葬式のリベンジマッチ。最初に言いますが、物語上で人は死にます。でも絶対に何が何でも幸せな話にします。絶対全員幸せにします」
かくして私は東京にこにこちゃんの演劇に出会いました。誰でもない萩田頌豊与という劇作家の言葉が私を荻窪小劇場へと導きました。えも言われぬ衝動と焦燥に駆られ、完売だった初日の当日券を一か八かで求め、自転車を走らせた冬の夜。何度振り返っても、私はあの時の自分の諦めの悪さに感謝をしてしまいます。「幸せ」の概念を覆す演劇、感じたことのない悲しみと喜び。
それから6年、東京にこにこちゃんはあの日の言葉を貫き続けています。生きていく上で避けられない悲しみや寂しさを決して隠すことなく、むしろ「だからこそ人は笑うのだ」と言わんばかりの瞬間最大風速の笑いで。可笑しくも愛らしい人物たちが織りなす純度200%の物語で。そして、ラスト5分に託された“ハッピーエンド”で。
ハッピーエンドって誰のための言葉だろう。かつての私はそれを読者や観客のための言葉だと思っていました。でも、そうじゃなかった。ハッピーエンドはその物語に生きる全員のものでもある。悲しみも喜びも、生も死も一人ひとり温度や速度は違うから、ハッピーエンドが示す風景も一人ひとり違う。全てが相対ではなく、絶対。東京にこにこちゃんの演劇はすごいスピードと熱さでいつも私にその実感を握らせます。超加速的ラスト5分に生まれて消えるハッピーエンド、悲しみと喜びのラストダンスの真っ只中で。まるで走馬灯のようなその速度と温度の真ん中をあの日の言葉が貫きます。
「絶対全員幸せにします」
東京にこにこちゃんの演劇に出会えて私はとても「幸せ」です。それはもう絶対に。
丘田ミイ子プロフィール
『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。
劇団プロフィール
フランス・パリ生まれ東京・練馬育ちの193cm、萩田頌豊与(はぎたつぐとよ)が主宰・作・演出をつとめる劇団。大きい声で言わなくていいことを言ったり、突然どこに居るのかわからなくなってしまうような人たちが出てくるのに、何故か最後は泣いてしまう人があなたの隣にいる、そんなお芝居を上演しています。どんな困難があっても最後は必ずハッピーエンドになる、新感覚ラブコメディ。
新作情報
MITAKA“Next”Selection 26th 『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』
作・演出:萩田頌豊与
- 日程
- 2025/10/3(金)~13(月・祝)
- 会場
- 三鷹市芸術文化センター 星のホール
- 出演
- 西出結、近藤強(青年団)、東野良平(劇団「地蔵中毒」)、立川がじら(劇団「地蔵中毒」)、土本燈子、髙畑遊(ナカゴー)、加藤美佐江、江原パジャマ(パ萬)、てっぺい右利き(パ萬)