
『ゲキドウ』のスタートに連動し、本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第8弾は、ここ数年でますます多くのファンを虜にする魅惑の劇団アンパサンドが登場。『地上の骨』で第68回岸田國士戯曲賞初ノミネート、翌年『歩かなくても棒に当たる』で同賞を受賞。独特のユーモアと洗練された技巧、そして奇想天外に加速する物語。その劇作の秘密に迫るべく、作・演出を手がける安藤奎さんにお話を聞きました。
撮影◎松田嵩範 文・構成◎丘田ミイ子

初めての観劇で「バンドがやりたいんだ」と錯覚して…
――まずは、『ゲキドウ』の感想からお聞かせいただけますか?
面白くて、一気に読みました。読んだ時にまず「この漫画は絶対演劇愛がある人が描いているはず!」って感じたんですよね。演劇や俳優がテーマになっている作品って、「別人になる」とか「憑依する」など、外的な魅力に焦点が当てられがちな印象があったのですが、『ゲキドウ』では2話で「自分自身のままで舞台に立つ」という内面が描かれていて、すごく真っ当なアプローチだと思いました。また、演劇に縁のない野球部の主人公を通じて演劇を体験するという入口だからこそ、演劇に興味がない読者でも物語の中へ入っていきやすいのかも、とも思いました。
――お察しの通り、作家のココカコさんは大学卒業まで演劇活動に打ち込まれた、すごく演劇愛に溢れる方なんですよ。
「演劇を真剣にやっていた人が後に漫画を作る」っていうこと自体が一般的にどれくらいの確率で起こることかわからないのですが、本当に奇跡のような漫画ですよね。リアルな演劇の物語が難しくなく、面白く読める。演劇が詳しくない人にも興味のない人にもひらかれているっていうのがすごく新しくて、嬉しいなと思いました。解像度が高いから、なんなら野球漫画として読んでも面白いぐらい(笑)。同じ学校にいても、おそらく交わらなかった登場人物たちが演劇を通じて交わっていく展開も面白いなと思いました。
――『ゲキドウ』はまさに主人公・真柴の演劇の原体験から物語がうねるのですが、安藤さんご自身の演劇の原体験はどのようなものだったのでしょう?
私は大分出身なのですが、最初に演劇に興味を持ったのは、鴻上尚史さんの舞台を福岡の劇場で観劇した時でした。きっかけは母がSOPHIAの松岡充さんのファンだったこと。その出演舞台を母と一緒に観に行ったのが最初の観劇でした。小学5年生の時だったのですが、故郷では演劇と触れ合う機会がほとんどなかったので、すごく興奮しました。
休憩時間にトイレの行列に並ぶのも初めてで、「これ本当に間に合うのかな?」ってソワソワしたのを覚えています。今となっては絶対間に合うようにできているってわかるんですけど、あの時は「早く行かないと始まっちゃう!」って思っていたんですよね。その時に前に並んでいたお姉さん達の会話が聞こえてきて、その片方のお姉さんが「私よく舞台観に行くんだけど、この舞台は当たりだよ」って言っていて、「かっけー!」って思ったんですよね。「当たりとかあるんだ、しかも今私はその当たりに当たっているんだ!」って…。
――安藤さんならではの日常への視点も含め、とても面白い原体験のエピソードです! その観劇を経て、演劇をやることを意識し始めたんでしょうか?
その舞台がバンドマンの物語だったんですよ。だから、観終わった時は「私、バンドがやりたいんだ!」と思って、とりあえずギターを練習し始める流れになり、中学でバンドも組んだものの結局1回も練習しないまま終わって…。そこから月日が経って、ふと「あの時、バンドをやりたいって思い込んでいたけど、もしかしたら自分は演劇の方がやりたかったのかもしれない」って思ったんです。
そこからは、休みの度に例の鴻上さんの舞台のDVDを必ず観るというのがルーティーンになり、岡山に引っ越したこともあり、大分にいた頃よりは観劇もできるようになって…。そんな私の様子を察して、ある日、母が他県に新しくできる演劇学科のある高校の新聞記事を見せてくれたんです。進路を考える時期に来ていたこともあって、この頃には「演劇やりたいかも」と漠然と思っていましたね。第一期生で入学志願者が少なかったのか、校長先生が自ら説明にまでいらしてくれたんですけど、よくよく聞いていくと、下宿も含めて結構なお金がかかることが分かり、その時のお母さんの顔が明らかにゾッとしていたんですよ(笑)。ここで無理をさせるのは悪いなと思い、「高校でお金を貯めて卒業したら東京に行こう」と決めました。

誕生パーティーをやるはずが、劇団をやっていた
――その決意通り、高校卒業後に上京して俳優活動を始められたそうですが、劇団を立ち上げることや作家活動をスタートさせることはいつ頃から意識し始めたのでしょう?
最初は演劇集団円という劇団の研究所に入って、2年間俳優としての経験を積みました。その後に色々な劇団のオーディションを受けたんですけど、全然受からなくて…。小劇場はオーディション自体が頻繁にあるわけじゃないので、とにかくオーディションを見つけたら受けるみたいな時期があったんですよね。それで、全然好きでもなく、面白いとも思っていない劇団のオーディションに行って落ちたことがあって…。その時に「自分は一体何をやっているんだろう」と思ったんです。受かりたくないと思っているところに受けに行って落ちるという謎のことをしているなと思って、そんなことなら自分で何か書こうかなと。そこまでの熱い気持ちはなく、「やってみるか」と始めてみた感じでしたね。
あと、当時海外ドラマの『ゴシップガール』にハマっていたんですよ。『ゴシップガール』の人たちはよくパーティーをするのですが、それが羨ましくて「自分も誕生日パーティーをしてみたらどうだろう」って思ったんです。でも、「パーティーって、集まってもらった後は何をしたらいいんだろう」って疑問が浮かんで…。それで、「自分が人に集まってもらった後に1番したいことって演劇かも」と思って、結局パーティじゃなくて劇団をやることになりました。
――まさか『ゴシップガール』が一役かっていたとは!(笑)。その旗揚げから9年、アンパサンドはめきめきと注目を集め、安藤さんは岸田國士戯曲賞も受賞されました。受賞作『歩かなくても棒に当たる』も前作『遠巻きに見てる』もとても面白かったですが、戯曲を執筆する上で意識していること、大切にしていることはどんなことですか?
戯曲の書き方は結構毎回違っていて、集まったメンバーやその時やりたいことによって変えることが多いかもしれないです。その中でも「こういう小道具を使いたい」というビジョンが先行してあって、そこに向かって書く、みたいなことは割と多かった気がしますね。例えば「ドアが急に閉まるっていうのをやりたい」とか「人間が魚の姿になったら面白そう」っていうところから書き始める感じ。
あと、俳優さんを決めてから書き始めることも結構多いです。前作『遠巻きに見てる』はあまり深く考えず、「いっぱい展開させたいな」と思いながら頭から書いていった感じでしたね。そんな風に毎回劇作へのアプローチ自体はちょこちょこ変わっているんですけど、変えようと思っているわけではなく、その時の状況や趣向に応じるという感じです。
――アンパサンドの名小道具の数々、その鮮やかな仕掛けが思い起こされます。安藤さんが演劇をやっていて、「これは演劇でしかできない」と感じるのはどんな瞬間でしょうか?
やはり生身の人間が出てきて、編集されていないことが大きいのかなと思っています。演劇には演出はあるけど、編集はない。上演中、2時間なら2時間ずっとリアルタイムで俳優さんがいて、肉体がそこにあって進むっていうのは他の媒体とは明らかに違う、演劇ならではの面白さや強みだと思います。俳優さんの疲れも含めて、ああいうリアリティは映像では見られないですよね。
だからこそ、演出においても「せっかくリアルな人間が出てきているのだから、嘘をつかないでいいところは嘘をつかないでいたい」と思っていて…。疲れているのに疲れていないふりをする、みたいなことはしなくていいし、せっかく「疲れていないところから疲れていくまでの状態」を見せられるのだから、その過程を楽しめる作品になるといいなと思いながら作っています。

日常でスルーしたことが戯曲の上に溢れて…
――アンパサンドの演劇はささやかな日常の一コマから社会や人々があぶり出されていく様が可笑しく痛快ですが、社会や人々の様相を描くにあたって、何か意識をされていることとはかありますか?
『ゲキドウ』の中に「その感情はなかったことにしない」っていう旨のセリフが出てくるじゃないですか。私、あのシーンを読んだ時にすごくドキッとしたんですよ。私自身、生きている時間に都度いろんなことを感じてはいるはずなのですが、「うまく生きていくこと」に慣れすぎちゃって、色んなことをスルーしているんですよね。
でも、戯曲を書いていると、そうやってスルーしちゃったことがどんどん出てきて…。「私ってこんなことを考えていたんだ」って気づけたり、1回立ち止まって自分を見つめる機会になっているんです。演劇は「外へ向かう面白さ」でもあるけれど、私自身はそういった「内を見つめる面白さ」にもすごく救われている。そういう意味では、書いている時に社会や自分のことを考えることが多いのかもしれません。
――『ゲキドウ』ともリンクする、演劇という営みの内側を考えさせられるエピソードです。そんな安藤さんが今描いている今後のビジョンは?
年1回くらいはコンスタントに舞台をやっていきたいなと思っています。最近はドラマの脚本を書く機会もあって、それも結構楽しく取り組んでいます。あと、アンパサンドのチラシの絵は毎回私が描いているのですが、子どもの頃はそれこそ漫画家になるのが夢だったんですよ。紙の上で物語と絵、カメラワーク、演出まで全部をやっていて、「もしかしたら漫画家が1番すごいんじゃないか!」と思っていたくらい(笑)。イラストとはまた全然違って、もっと勉強も必要ですが、漫画はいつかやりたいなと思っていることの一つですね。
――今後の楽しみがまた一つ増えました。最後に、まもなく上演されるアンパサンド作品の傑作の一つ『デンジャラス・ドア』。その見どころや再演への思いをお聞かせ下さい。
去年に劇場を予約した段階では「新作でもいいかな」と思っていたんですけど、その後色々と別の仕事が入ったりと状況が変わって、新作の上演が難しいかもしれないとなったんですよね。そんな中で、深い意味はなく、素直に「再演するならこの作品がいい」と思ったんです。というのも、この作品に関しては初演時から「もう1回やりたい!」って思っていたんですよ。
なので、初演の経験を活かして、今回の再演では初演でできなかったことにも挑戦したいと思います。劇団はやりたい時にやりたいことをやれる場所。だから、続けていくことを大変だと思うことはほとんどないんですよね。あ、でも、劇場を予約する時にはやっぱりちょっとだけ緊張しますね(笑)。「ここからまた始まっていくのか」って。そんな風に思います。

劇場は非日常への入口とも言いますが、アンパサンドの演劇は逆かもしれません。入口は日常、出口は非日常。そしてその入口と出口の間で、例えばこんな不条理展開があなたを待っています。オフィスでの些細な嘘をきっかけに、気遣いの連鎖が起き、そして人々はみるみる魚に変身して…?! マンションのゴミ捨て場で、ルールに厳しかった亡き住人の顔が他の住人の体に寄生し、やがて完全復活へ…?!
と、こうして過去作のあらすじを読むと「訳が分からない!」と思うかもしれませんが、アンパサンドの演劇は「訳が分からない!」だけでは終わらない。
人々の営みや小さな会話に生じたズレが魅せる鮮やかな変化、ワンシチュエーションながら突拍子もないところに漂着する限界突破のドライブ感、そして、どこにでもあるコミュニティでの、どこにでもあるひとコマから、あれよあれよと暴かれる現代社会や人々の様相…。軽妙な筆致とテンポで笑わせられながらふと背中が冷える瞬間もあり、「この奇妙な温冷浴はアンパサンドの演劇でしか味わえない」としみじみ感動してしまいます。あと、私はアンパサンド作品に見る女性のタフさが大好き。みんなとってもヘンテコで、どこか偏執的なのですが、ちゃんと自分の意地を持っている。そんな姿には大笑いさせられつつ、つい励まされたりもしてしまうんです。
「誰かがいらないって思ったものはいらないです。そういった理由で私は古着も買わない」、「一人で飲んでも美味しいものは美味しいし美味しくないものは美味しくない!」。ほんの一部ですが、何度でも惚れ惚れしてしまう痛快な台詞…!
安藤さんの作品は素晴らしい演劇であると同時に、緻密な文学でもあります。人物造形、その配分や配置、鮮やかな伏線回収と可笑しみの裏面で点滅する人間の悲哀…戯曲を拝読した時は、隅々までデザインが行き届いた美しい文学に出会えた喜びに胸を打たれました。
『デンジャラス・ドア』の観劇はもちろん、『歩かなくても棒に当たる』(白水社)も是非お読みいただけたら。改めて、安藤奎さん岸田國士戯曲賞受賞おめでとうございます。これからも日常と非日常の狭間で私たちを存分に振り回して下さい!
丘田ミイ子プロフィール
『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。