
『ゲキドウ』のスタートに連動し、本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第9弾は、国内のみならず海外でも話題を集める贅沢貧乏が登場。代表作の一つ『わかろうとはおもっているけど』は2022年のパリ公演を経て、11月より全国ツアーとして再演。現代における様々な問題とそこに発生する人々の感情…社会と演劇の結び目を繊細に掬い上げるその劇作の内側に迫るべく、作・演出を手がける山田由梨さんにお話を聞きました。
撮影◎松田嵩範 文・構成◎丘田ミイ子

運動部も帰宅部も、みんなで一つの演劇を作った高校時代
――最初に『ゲキドウ』の感想からお聞かせいただけますか?
まずは、「演劇を描いてくれてありがとうございます!」という気持ちでした(笑)。演劇の話はどうしても業界内に閉じてしまう傾向があるので、漫画という異文化の中で語られていることをとても心強く感じました。しかも、切り口や描き方がフレッシュで、今自分が演劇をやっている感覚とも近い感じがしたんですよね。演劇ってどこかダサい、恥ずかしいって思われがちだし、人前で感情を露わにするのって、実際すごく恥ずかしい。それでいて、「本当は見せたくない姿」や「自分が抱えている生々しい感情」を曝け出さないと観客は面白がってくれない。そういう意味でも、演劇はやはり恥ずかしくてダサいものなのですが、『ゲキドウ』はそこをちゃんと描いてくれている。
そしてそれは、その先にしかない演劇のカッコ良さを描くことにも繋がっていて…。ダサさや恥ずかしさを突き詰め、飛び越え、やり切った時に人は初めて感動をする。その入り口が真摯に描かれていることに励まされますし、「この先にきっと沢山のカッコ良いシーンがあるんだろうな」と今後の展開を待ち遠しくも思いました。
――『ゲキドウ』では元野球部の主人公・真柴が演劇の道を歩んでいく様が描かれますが、山田さんご自身もまさに野球部の同級生と演劇を作った経験があるのだとか…!
そうなんですよ。演劇部ではなかったのですが、私の母校の都立青山高校は、文化祭になると、全クラス・全員参加で演劇を作り、同時上演がされているような校風だったんです。夏休み明けが本番なので、夏休み=毎日稽古。帰宅部だった私も3年間で夏休みに学校に行かない日がないくらい没頭していました。
一方で、部活が忙しい運動部の子は音響や照明をやったり、人前に出るのが苦手な子は看板作りや設営を手伝ったり…。演劇って、そんな風にそれぞれの形でできる方法がある。塗るだけでも、運ぶだけでも、参加ができるし、一つのものを作り上げる喜びをみんなで分かち合える。野球部の子はもちろん、サッカー部やバスケ部の子もいましたし、そんな奇跡みたいな原体験は、その後の演劇の創作や劇団の在り方にも影響を与えていると感じます。
――当時の同級生の方とのエピソードでとくに印象に残っていることは?
それこそ運動部に所属をしていた谷田部美咲という同級生がいたのですが、彼女は卒業した後も大学で演劇をやっていたんですよね。大学は別々だったのですが、私も彼女もそれぞれのやり方で演劇を続けていて…。そこから数年が経ってから、『わかろうとはおもっているけど』のパリ公演でオーディションを経て出演してもらうことになったんです。作・演出と俳優としての再会も嬉しかったですし、何より高校生ぶりに一緒に演劇を作ることができ、もう一度青春を共にするような感慨深さがありましたね。しかもパリで!

「家」で始めた創作と上演、そして海外進出へ
――高校の文化祭がパリ公演に繋がるとは! 互いに演劇を続けていたからこそ叶った、素晴らしい再会ですね。山田さんは、高校卒業後は立教大学映像身体学科に進学し、在学中に贅沢貧乏を旗揚げされます。劇団を立ち上げるに至った経緯は?
ある夜、家でふと一人芝居を思いついて、勢いのまま台本を書き上げたんです。「人づてに聞いた話をお客さんに向けて話す」スタイルの一人芝居だったので、その流れで友達に電話越しにやってみたら「面白いから大学でやろう!」と言ってくれて…。昼休みに上演をすることになったんですけど、ホールを借りるのに申請が必要で、その名義として使っていたのが「贅沢貧乏」という名前だったんです。
結局100人くらいの観客が集まってくれて、劇団を立ち上げようと思っていたわけでも、そのためにつけた名前でもなかったのですが、その一人芝居が「贅沢貧乏」名義としては初めての公演になりました。こうして言葉にしてみると、それこそ漫画のエピソードにもありそうな、結構ドラマチックな成り立ちですよね(笑)。
――校内のみの名義だったはずが、数年後にはその名で中国やパリにまで進出を果たすのですから、本当にすごいことですよね。そんな贅沢貧乏が劇団として活動する上で大切にしているのはどんなことでしょうか?
高校の頃と同様に、大学でも演劇サークルには入っていなかったし、一緒に作っていた人たちも演劇を観たことのない人ばかりで、「なんか面白そうだから参加したい」みたいに徐々にメンバーが増えていった感じだったんですよね。そんな風に演劇の文脈にいない人たちと0から演劇を作ってきたからこそ、自分たちのやり方で劇団を形作っていけたのだと思います。演劇のために用意された場所にいたことがないから、そこでの当たり前に縛られなかったというか…。演劇に限らず多様な分野の人と関わったり、劇場以外の上演場所を模索し続けてきたこともそこに通じている気がします。
――一軒家やアパートで創作と上演を行う「家プロジェクト」もその一つですよね。今でこそイマーシブシアターという名前を聞くことが増えましたが、当時はとても珍しい試みでした。
初めて学校外で公演をした時に「本番と稽古が同じ場所でできた方が絶対クオリティが上がるのに!」と痛感したんです。でも、長期間劇場を借りたら、出費がかさむ。だったら、いっそ一軒家を借りちゃおうと。そう思ったんです。家の中を移動しながら観てもらえる演劇が作れたら面白そうだし、上演スケジュールも自分たちで好きに立てられる。そう思って始めたのが「家プロジェクト」でした。
イマーシブシアターをやろうと思っていたわけではなく、作品を面白くするための理想を突き詰めていったらこの形になったという感じで…。でも、そんな風に自分たちの理想と方法に則ってミニマムに作っていた演劇を海外の方に見つけてもらって、思いのほか広く遠くへと届けられたことは貴重な経験でした。

「今、必要なこと」を活動や上演に込めて…
――旗揚げから今に至るまで、独自の方法で劇団のカラーや劇作家としてのキャリアを築いてきた山田さんですが、これまでの演劇活動を振り返って感じていることはありますか?
何事もそうですが、演劇も始めることは簡単だけど、続けることはすごく難しい。これはどこでも言われることですが、演劇ってやっぱりコスパが悪いんですよね。参加する俳優もスタッフも、一つの作品に対してものすごく多くの時間や労力をかけている。だからこそ、作家としては「皆さんの大切な人生の一部をお借りするのにふさわしい作品にしなきゃいけない」って思います。
「やってよかった!」とまずは参加してくれた人に思ってほしいし、キャストに「俳優人生で経験してよかった」と思ってもらえる作品にしたい。あとは、それだけの時間と労力をみんなでかけて創作したものを社会に対して発表するのだから、今、書くべきことを書く。今、必要なことをやる。そこはすごく大切にしています。
――贅沢貧乏というコミュニティの在り方にも繋がってきそうなお話です。
そうですね。贅沢貧乏は、私の他に俳優が3人と制作が1人という5人編成でやっているんですけど、もはや人生そのものを共にしているような、家族に近い関係性になりつつあると感じます。劇団をやっていて楽しいと思えること、全員が無理せずいられることが一番大事。だから、「演劇を通じてみんなが楽しい時間を過ごせるような場でありたい」と思っています。演劇界にはまだまだハラスメントをはじめとする多くの問題があるのですが、演劇や創作によって傷を負うかもしれない人がいたら、もうその作品はやる意味がないと思うんですよね。
作品がどれだけ素晴らしかったとしても、出演したことや携わったことを後悔する人が出てしまうのであれば、ない方がマシ。楽しく演劇を作って、その時間を思い出して再び幸せに思えること。それこそが演劇の醍醐味だと思うんです。だから、『ゲキドウ』の真柴くんや部員のみんなも「今後そんな風に思える作品に出会えたらいいな」と思いますし、「きっとそうなるはず」と信じています。
――まもなく全国ツアーが上演される『わかろうとはおもっているけど』も、2019年の初演後にパリでの公演を経て、数年ぶりの再演となります。最後に本作に込めた思いをお聞かせ下さい。
普段はヨガなどをやっている小さなスタジオで初演を迎えた作品が海外に渡り、そして再び国内で上演できることを嬉しく思います。ちょうど今日舞台美術がパリから稽古場に届いて…。海外で劇場版に完成された作品が逆輸入のような形で日本に戻ってきたことも感慨深いです。この作品を執筆したのは20代後半、妊娠・出産という話題が自分に向けられ、生きづらさを感じ始めた頃でした。当時は政治家の「女は産む機械」といった問題発言があったり、性暴力事件が明るみになったりと、女性がどんな扱いを受けてきたかを考えさせられることも多く、フェミニズムを勉強し始めた時期だったんですよね。
でもそれらは決して女性のみの問題ではなく、誰しもにとって他人事ではない問題だと感じたんです。「6年前に書いた作品だから少し古くなっているかもしれない、むしろ社会が進んで古くなっていたらいいな」と思ったりもしたのですが、東京以外の地域の方にお話を聞いたら「自分の地元では性差の問題はまだまだ深刻」といった声もあって…。だからこそ、今再び全国ツアーとして上演する意味があると感じました。体の違いや差が存在してしまう中で私たちはどんな風にわかり合うことができるのか。この作品が身近な人と性差や平等を話し合うきっかけになったらいいなと願っています。

演劇が終演して拍手が起きる時、それは大抵客席から舞台、観客から俳優に向かって一方向に送られます。だけど、昨年のある冬の日、私はそうではない拍手に、これまで体験したことのない奇跡のようなカーテンコールに立ち会いました。それはまるで舞台と客席、俳優と観客、そして私とその隣や前後に座っているあなた全部を同じ強さと温度で包み込むような。「ありがとう」にも「おつかれさま」にも聞こえるような。そして、「私たちよく生きてきたよね」と互いの今日までを労い、「また会おうね」と今日からを激励するような拍手でした。うつ病を患った主人公が奇妙なホテルでの不思議な体験を通して、自分や世界を解していく物語。そう、贅沢貧乏の『おわるのをまっている』初日のことでした。
その拍手が物語っているように、贅沢貧乏の演劇は舞台と客席を越境して、「わたし」と「あなた」が同じ地平で物事を見つめていることを、社会を見つめられるということを伝えてくれます。現実とうんとはなれたフィクションの中で手にしたその生々しい実感は、劇場を出ても、家に着いてもちっとも消えることがない。そうして私はその物語が自分とは決して無関係ではなかったこと、他人事ではなかったことを思い知ります。それはきっと贅沢貧乏がこの13年絶えず「一方向で終わらせないコミュニケーション」を見つめ、目指し続けていたから。演劇がどう社会に存在すれば豊かであるか。劇団を健やかに続けていくためにはどうすればいいのか。自身や他者との関わりに向き合い続ける贅沢貧乏だからこそ伝えられるもの、届くものがある。私にはそう思えてなりません。
こんなにも異なる人と人とが「わかりあう」のは正直とても難しい。だけど、「わかりあえなさ」を「わかりあおう」としたときにはじめて「わかる」こともある。私は贅沢貧乏の演劇からそう教わりました。複雑な心身を抱えながら、それぞれの今を生きる私やあなたのための演劇。心の力が小さくなってしまった時、私は今でも呪文のように思い出しています。見知らぬ互いの存在を祝福し合ったあの三度にわたる喝采を、冬の日の劇場に満ちたあの温かな音の集まりを。
丘田ミイ子プロフィール
『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。
劇団プロフィール
2012年旗揚げ、東京を拠点とする劇団。山田由梨が全作品の作・演出を務める。舞台と客席、現実と異世界、正常と狂気の境界線をシームレスに行き来しながら、現代の日本社会が抱える問題を奔放な想像力と多彩な手法でポップに浮かび上がらせる作風を特徴とする。14年より一軒家やアパートを長期的に借りて創作・上演する「家プロジェクト」の活動を展開。『フィクション・シティー』(17年)、『ミクスチュア』(19年)で岸田國士戯曲賞にノミネート。『みんなよるがこわい』(15年)の中国版が中国全土を巡回、『わかろうとはおもっているけど』(19年)が22年フェスティバル・ドートンヌ公式プログラムとしてパリで上演されるなど国内外で活動の幅を広げている。最新作『おわるのをまっている』がVimeoにて配信中!
公式Instagram |公式X
新作情報
贅沢貧乏 『わかろうとはおもっているけど』
作・演出:山田由梨
音楽 :金光佑実
出演 :大場みなみ 山本雅幸 佐久間麻由 大竹このみ 青山祥子
【東京公演】
- 日程
- 2025年11月7日(金)~16日(日)
- 会場
- 東京芸術劇場シアターイースト
【久留米公演】
- 日程
- 2025年12月6日(土)~7日(日)
- 会場
- 久留米シティプラザ C ボックス
【札幌公演】
- 日程
- 2025年12月13日(土)~14日(日)
- 会場
- クリエイティブスタジオ(札幌市民交流プラザ3階)