『ゲキドウ』 presents ヤンジャン演劇広報部 vol.10 優しい劇団

本連載では今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第10弾は平均年齢25歳、名古屋を拠点に活動しながら全国区の注目を集める優しい劇団が登場。稽古と上演を同日に行う1日限りの演劇「大恋愛シリーズ」が話題になる中、11月には新作の本公演『光、一歩手前』が2都市で上演。インスタントかつコンスタントかつストロングな演劇の形と情緒溢れるセリフの応酬…。独自の劇世界を築く作・演出の尾﨑優人さんにお話を聞きました。

撮影◎松田嵩範 文・構成◎丘田ミイ子

歌舞伎と高校演劇という異例の掛け持ちを経て…

――尾﨑さんも高校演劇の経験をお持ちですが、『ゲキドウ』にはどんな感想を持たれましたか?

木曜になった瞬間にヤンジャン+を開くくらい楽しみにしています。まず「演劇を始めるまでの過程にこんなに時間をかけている漫画はない!」と思ったんですよね。演劇のとっつきづらさもきちんと描かれていて、演劇に対する真摯な姿勢が滲んでいるような…。そんな描写に感動しながら読んでいました。(取材当時の)最新話では初期メンバー以外にも仲間が集まり始め、新たな演劇が始まりそうな感じも立ち上がってきて今後が楽しみです。

僕たちの周りにいる人って、基本的には演劇をやりたくてやっている人がほとんどなんですよ。真柴君みたいにまっさらなところから演劇の魅力に誘われていく人の姿やその初期衝動って見たくてもなかなか見られない。だからこそ、そこに対する戸惑いや葛藤などの心の変化が生々しく描かれているところに強く惹かれるんです。初舞台のシーンから演劇のしんどさをちゃんと捉えてくれていることにも救われるような気持ちでした。

――実は尾﨑さんのキャリアスタートは高校ではなく、さらに遡り、小学生時代にあるのだとか…。どんなきっかけでこの世界に入ったのでしょう?

僕が10歳の頃に名古屋開府400年を記念した事業の一環で「名古屋こども歌舞伎」が始まり、その一期生として入ったのが舞台芸術との最初の出会いでした。演劇部出身だった親からの「お芝居やってみない?」という勧めがあり、ゲームをしながら軽い気持ちで返事をしたことを覚えています(笑)。

当時の僕は習い事が全然続かなかったのですが、歌舞伎だけは18歳まで続いたんですよ。純粋に楽しかったですし、子ども心に「他の人はやっていない、僕だけがやっている習い事」という優越感もあったと思います(笑)。あと、歴史好きだったので、歴史上の人物の物語が大半を占める歌舞伎は馴染みやすかったんですよね。ちなみに、最初に演じた役は明智光秀のお母さんでした。

――歌舞伎が入口という劇作家も俳優も少ない気がしますし、非常にユニークなキャリアスタートですよね。

そうですね。映画『国宝』にここまで実感を伴って感動できる若手の劇団主宰は僕くらいじゃないかなと思います(笑)。小屋入りから開幕までの手順も歌舞伎の現場で学んだところがあります。ただ、歌舞伎にはプロのスタッフさんが大勢ついて下さっていて、鏡の前にいたらメイクも着替えも仕上がっているような感じだったんですよ。

劇場に行きさえすれば、本番ができる。それがいかに恵まれた環境だったかを痛感したのは高校演劇以降ですね。今自分が活動している小劇場でも、基本的にメイクや身支度は自分で全部やらなきゃいけない。それでも鏡前に座ったり、白粉の匂いを嗅いだりするとやけに落ち着くんですよ。貴重な原体験でした。

――18歳までということは、高校演劇と歌舞伎を並行してやっていたんでしょうか?

歌舞伎の公演は年一回だったので、両立自体は全然大変じゃなかったんですよ。ただ、高校演劇では「静かな演劇」と呼ばれる現代口語演劇をやっていたので、当然歌舞伎とは演技体が全然違うんですよね。なので、入部当初は先輩とかに「尾﨑くん、そこで歌舞かないで!」と言われたりしました(笑)。でも、高校演劇で「静かな演劇」に出会った時は感動しましたね。「これも演劇なんだ、演劇ってなんて広くて深いものなんだろう!」って…。

旗揚げ公演は唐十郎、転機はコロナ禍での野外劇

――その後優しい劇団を立ち上げられますが、その経緯は?

高校卒業後に知人から「唐十郎の『少女仮面』をやってみよう」という企画が持ち上がり、高校演劇を通じて知り合った名古屋のメンバーでやってみようという話になって…。他地区のライバルだった人もいたのですが、卒業後にそこを横断して一緒に演劇を作れたのは楽しかったですね。その取り組みを一回で終わらせずに続けてみよう、ということで有志メンバーで始めたのが優しい劇団でした。

以降も唐十郎さんや劇団唐組に強い影響を受けているのですが、僕が唐組を観始めた頃にはもう唐さんの演出は見られなかったので、書籍やネットを駆使して調べまくったんです。演劇を作る上でも「唐さんだったらどうするだろう?」というのをひたすら考えていたら、こういう作風になったというか…。

――アングラ野外劇の代名詞、元祖にして現役のテント芝居唐組。優しい劇団が野外劇にこだわるのもそこに由来があるのでしょうか?

もちろん野外劇やテント芝居という趣にも強く影響は受けているのですが、世代的に野外でやらざるを得なかった部分も大きかったんですよね。つまり、コロナ禍で劇場公演ができず、野外でフェイスシールドを付けて稽古や上演をする他なかった。でも、続けてみると、どんどん野外劇の魅力に気づいていきました。何より劇場費用がかからないし、やろうと思ってから実現までが早い。

劇場だと予約が埋まっていたりしますが、そういうこともないし、僕が本さえ書けばいい。そんなこんなで新作がみるみる増えていきました。時間だけは余っていた当時の僕たちと野外劇は相性がよかったんですよね。上演許可など公的な立場の人たちとの手続きが大変な時もあるのですが、そういう経験はいざ劇場で公演をする時にも活かせるので苦にはならなかったですね。

――おっしゃる通り演劇界にも大きな打撃を与えたコロナですが、野外での活動を通じて方向性を見出す、という意味では劇団の一つの転機でもあったのですね。

そうですね。そもそも優しい劇団は現在のメンバーの大半とコロナ禍に出会っているんですよ。というのも、旗揚げ当時のメンバーは僕と制作の大岩右季しかいなくて、それ以外のメンバーはコロナ禍で大学由来の劇団活動が停止しちゃった時期に加入してくれた人たちなんです。

当時僕が公演を中止にしなくちゃいけない代わりに「ツイキャスで全国の演劇人とラジオをやります」っていう企画を突貫で始めたのですが、その時に毎回来てくれていたのが現・劇団員の千賀百子で、学生劇団と掛け持つ形で入団してくれたんです。それをきっかけに学生劇団で出会った人たちも続々優しい劇団に入ることになって…。演劇がやりたくてもできなかった人たちが集まってきたようなところはありましたね。

名古屋から「演劇の新たなモデルケース」になりたい

――劇団員は今年新たに2人が加入し、全員で10人。劇団は名古屋拠点ですが、東京在住のメンバーもいらっしゃいます。尾﨑さんが劇団を続ける上で大切にしていることはどんなことでしょうか?

僕も含めて劇団員の中にはどうしても地元を出られない理由がある人もいるし、そしてそれは決してネガティヴなことではないと思うんです。演劇に限らず、地元で表現活動を選ぶことが「夢を追い切れなかった」かのようにされてしまうことが時としてあるのですが、すごく違和感があるんですよね。

東京に行かない選択だってあっていいし、名古屋にいながらでも演劇の豊かさは作れる。演劇の新たなモデルケースとして、その可能性を後の世代にもどんどん広げたいと思っています。あと、自分や劇団員の人生が変わっていく時、例えば就職、結婚、育児、介護と様々なことがあるかもしれないけど、その時に「演劇を辞める」選択肢を可能な限り減らしたくて、早めから手を打っているような…。そんな感覚も強いですね。

――1日で稽古と上演までを行う「大恋愛シリーズ」もその一つですね。1年で9公演という精力的な上演活動も相まって、名古屋はもちろん東京でも注目が高まってきた印象があります。

「大恋愛シリーズ」は社会人になった劇団員と芝居を続けるための模索から生まれた演劇の形でしたが、徐々に広がって、名古屋以外の場所で東京の俳優さんと共演したり、劇場の空きを埋めるといったニーズともマッチできるようになってきたんですよね。あとは、「今の自分たちの状況ではさすがに稽古と本番で1ヶ月の拘束はできないな」っていうキャリアが上の大好きな先輩俳優さんたちにも1日だったらお願いをしてみやすいだとか…(笑)。

そんな風に後から判明した利点にどんどん気づいているような感じです。来年1月の兵庫県のAI・HALLという劇場での上演に向けて出演者を募集したら、北海道と東北以外の全土地から応募をいただいて、すごく嬉しかったんですよね。生きている場所が違う人と、これを逃すと一生会えないかもしれない人と出会って演劇を作る。それは、1日限りだからこそ叶う演劇の新しい営みの形だと思いますし、「1日でも演劇は作れる」という希望でもあると思います。

――11月には、名古屋と東京の2都市で1ヶ月のロングラン本公演『光、一歩手前』が開幕します。最後にその見どころと今後の展望をお聞かせ下さい。

劇団員と日々稽古に取り組んでいますが、13名のゲストの方は1日限りなので、本公演と大恋愛シリーズ双方の醍醐味が色濃く味わえる公演になっています。物語の舞台は数十年後のどこかの地方都市。排気ガスなどの環境問題が加速して町が明るくなったせいで空を見上げても星が見えない。そんな時代の天文部の高校生たちのお話です。

遠かった光が近くには見えてきたけれど、“あと1歩”の重さや距離を前にもがいている。タイトルはそんな劇団の状況とも重なっていて、今描かないと溢れ落ちてしまうものを掬い上げるように書きました。僕たちは、名古屋にいながらでも演劇の豊かさは作れる、継承できるということを伝えたくて劇団を続けています。そしていつかは名古屋へ行く理由や目的になりたい。名古屋名物を食べたレシートで観劇代を割引できるような(笑)。そんな名古屋名物の一つになりたいと思っています。

演劇ライター・丘田ミイ子の[優しい劇団]レコメンド

受付は駅前広場、会場は河川敷、チケットはしるこサンド、照明は夕陽で、音響はポケットから…。多摩川の日没をこの上ない美術に、嬉しくなると爆発してしまう高校生の青春が描かれた一人芝居『マイ・エクスプロージョン』。それが私と優しい劇団の出会いでした。全てにおいて革新的な、それでいてどこまでも本質的な演劇。爆発しないようしかし爆発的に生きるその姿は、一度始まれば跡形もなく消えてしまう演劇が時の狭間から放つ閃光そのもののようでした。

そんな爆発的な出会いから今日までで、私が優しい劇団から教わった一つの実感。尾﨑優人という一人の劇作家によって導かれた演劇の本領。それは、「演劇は演劇を飛び越えていくのだ」ということです。今上演されている演劇が、今まで演劇だと思っていたものを越えていくということ。さらには「演劇」という枠組みに収められてきたものを解し、収めてもらえていなかったものを掬い上げていくような。そんな実感と本領を感じるのです。

必ずしも劇場である必要はない。必ずしも時間やお金をかけなくてはいい演劇ができないわけではない。必ずしも東京が“進出先”ではない。優しい劇団はそんな風に、私たちがそうだと思い込まされてきた演劇の前例や常識にいつだって立ち向かっていく。とりわけ1日限りで稽古と上演を行う「大恋愛シリーズ」にはそんな誰とも似ていない、しかし誰だって真似ができる演劇の革新と本質が詰まっています。日本で演劇を続けていくことはとても難しい。だからこそ、人が演劇に合わせるのではなく、演劇が人に合わせればいい。そんな風に演劇を「人々の営み」として見つめる眼差しの熱さと深さが、優しい劇団の演劇には通底しています。演劇はいつ誰がどこでどんな風に始めてもいい。俳優はどこにだって存在するし、観客もまた然り。そうして演劇はどこでだって生まれることができるし、私たちは出会うことができる。私もまたそのことを信じている一人です。この熱き劇団と若き劇作家の背中を追いながら。いや、隣を併走する気持ちで。そうして今日も今日とて爆発的な今を、爆発的な演劇とともに生きていけたらと思います。

丘田ミイ子プロフィール

『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。

劇団プロフィール

2018年に名古屋にて旗揚げ。
【名古屋から小劇場ムーブメントを】【人の心の涙を拭う公演】をモットーに、ささいな締麗事を大声で叫ぶネガティブ&口マンチックな作品 を生み出し続ける。
劇場にとどまらず、多摩川の河川敷や名古屋の公園等での野外割も上演。1日でつくる演劇公演【優しい劇団の大恋愛】を2024年より開始。場所を選ばずインスタントかつコンスタントでハイクオリティな公演を行うことを可能とした。
公式サイト

新作情報

『光、一歩手前』

作・演出:尾﨑優人

出演
《星組》千賀百子、石丸承暖
《宙組》宮﨑奨英、橘朱里
尾﨑優人
池田豊
下野はな(11/1~11/9出演)
小野寺マリー(11/15~11/24出演)
スタッフ
制作|大岩右季(優しい劇団)、優しい劇団
宣伝美術|道岡真憂子(優しい劇団)
【東京公演】
日程
2025年11月1日~16日の土日祝日
※公演日程が連続していない点にご留意いただきますようお願いいたします。
会場
高円寺K'sスタジオ本館
【名古屋公演】
日程
2025年11月22日(土)~24日(月)
会場
シアターココ

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