『ゲキドウ』 presents ヤンジャン演劇広報部 vol.11 ゆうめい

今まさに演劇界で注目を集めているホットな劇団のインタビューをお届けします。第11弾は実の父が父親役で出演するなど、類を見ぬドキュメンタリー的作劇で一躍脚光を浴びたゆうめいが登場。近年はフィクションを描いた作品も増え、第68回岸田國士戯曲賞受賞作『ハートランド』、第32回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞作『養生』と受賞の報も相次ぐゆうめい。その劇作の秘密に迫るべく、作・演出の池田亮さんに聞きました。

撮影◎石川耕三 文・構成◎丘田ミイ子

元々は墓石職人になろうとしていた

――ゆうめいは、2017年頃から『弟兄』をはじめとする作品に見るドキュメンタリー的手法、「私演劇」というジャンルで注目が集まったところがあるのではないかと思うのですが、その創作の経緯からお聞かせいただけますか?

それこそ『ゲキドウ』の真柴くんと重なるところが多々あるんですよね。真柴くんは野球だけど、僕は元々美大で彫刻を専攻していて…。墓石職人になろうとしていたのですが、石をずっと掘っていたら腰を壊してしまったんです。とはいえ材料費を調達するためにバイトもしなくてはならず、その中にルポライターや取材の仕事もあって、いろんな人の人生に触れていくにつれ、「自分の話を書いてみようか」というところにシフトチェンジしたんです。

当時は「やりたかったことが別にある」ということに囚われていた時期でもあったんですよね。その葛藤といろんな人の話を重ね合わせていったら一つの演劇になっていた、という感じでした。そもそももう少し遡ると、美大に行った理由も「美大から箱根駅伝に出たらかっこいいだろうな」と思ったからだったんです(笑)。

――なるほど(笑)。高校までは運動部だったんですね。

強豪校で、丸坊主が基本みたいなところでずっと陸上をやっていたので、そこもちょっと真柴くんと重なるというか…。大学進学の時に「箱根駅伝とか目指す?」という誘いもあったのですが、美大に行きたいから断ったんですよ。箱根駅伝行くなら絶対そこが大チャンスだったのに、陸上は一区切りしたかったから美大に行って…。といったものの、一区切りしきれないから、「美大に行きながら箱根駅伝に出られた方がかっこいいよね」っていう発想になって…という感じでした。今から思うと、虚勢を張っていたんだと思います。その虚勢を美大に入ってからも張り続けてしまっていたところがあるから、自分のアイデンティティと向き合う苦しみはすごくわかるなって思いながら、『ゲキドウ』を読んでいました。

――ゆうめいの演劇は人物造形もとても深く、こうした登場人物に対する読み解きはまさに池田さんならではの着眼点だなと感じました。

個人的には真柴くんを羨ましく思うんですよ。人の出会いによって彼が変わっていく瞬間がページをめくる度に描かれているし、部員の猪井さんや田辺さんのような人に高校生の段階で出会えていることってすごく強みだと思うから。初舞台で自分を曝け出す、いわゆる「私演劇」をやるっていうことは残酷な面もあるけれど、同時に強運だなとも思ったんですよね。

まだかさぶたになっていない状態の生傷で勝負する真柴くんもすごいし、そんな真柴くんの話を聞いて台本を書けてしまう田辺さんもすごい。演劇に出会うべくして出会う人のリアルが詰まっているなとも思いましたね。それこそ、僕が美大で石が掘れなくなって周りに置いていかれる孤独に苛まれていた時に「自分を引っ張り出してくれる、すごい人と出会えないかな」って日々妄想していたんですよ。僕の場合は全然出会えなかったので、結局一人で格闘していたんですけど…(笑)。

――“出会い”にちなんで言うと、ゆうめいの成り立ちやメンバーとの出会いも結構ユニークですよね。

ゆうめいは、大学在学中に僕と映像作家でアートディレクターのりょこで立ち上げたのですが、りょこの地元に「ピースランド」という子どもの本屋兼大人のバーみたいなところがあって、そこで演劇をやってみたら面白そう、という話になって一夜限りで上演をしたのが、ゆうめいのプロトタイプ(試作)公演でした。

当時は演劇を続ける予定はなく、「卒業前にやってみよう」という感じでやったのですが、その後三重県でハイバイの岩井秀人さんのワークショップに参加した時にメンバーの丙次に出会い、東京でも一回演劇をやってみようということになって…。そしたら、その公演を観た小松大二郎が「入りたい」と言ってくれて、徐々にメンバーが増えていった感じでした。

「私演劇」を選んだ理由、演劇ならではの強み

――「自分の身に実際に起きた話を書く」ということについてはどんな思いがあったのでしょう?

書いてみたら自ずとこうなっていた、という感覚が近かったですね。どこか美術の延長というか、「彫刻をやり過ぎて腰が壊れてしまった作品をやろう」というところからずっと地続きになっているような感じで…。僕だけではなく、メンバーも含めて「フィクションじゃないことをやりたい」という気持ちがどこかにあったんだと思います。

「アニメーション作家だけをやりたいけどテレビの現場で働かなくてはならない」とか、「本当はお笑い芸人になりたいけどなれない」とか、当時はそれぞれに「本当はこれがやりたいけどできない」っていう気持ちもあって、そのジレンマとタイムリーな自分たちの実体験を描くことがリンクしていたのだなと改めて思います。

――個人の創作である彫刻から、集団創作の演劇へ。池田さんが演劇を選び、そして続けていく中で感じていることはどんなことでしょうか?

上演の感想をもらったり、それを観たメンバーが「入りたい」と言ってくれたり、作品の反応の大きさにびっくりしました。それまでは、小説を書いてネットに公開したことはあったのですが、自分の書いた物語に対して生身の人間から反応をもらうのは初めてのことだったので、すごく新鮮な気持ちでしたね。

ただ、正直なところ、気持ちの上では最初から「演劇だけをやろう」と思っていた感じはあんまりなくて…。同時に、「自分がやりたいことが一番うまく出せるのが演劇だ」という実感はあって、その延長で続けているようなところが大きいですね。例えば、今回の『養生』では僕が美術も担当しているのですが、彫刻と同じようにその場に美術を置いてお客さんに見てもらうだけでも表現自体は成立するけど、生身の人間が物や場を動かすことによって新たに生まれるもの、より成立できるものがある、みたいな感覚なんですよね。

――なるほど。創作の過程で一つひとつの表現が重なっていくこと、演劇が総合芸術であることを感じさせられるお話です。

だからか、演劇の創作中はすごく頭の中がうるさくなりますね(笑)。「お前が一人で楽しんでんじゃねえよ!」ってツッコミを入れる人たちが常に脳内にいるような感じで、ああでもない、こうでもないとどんどん頭でっかちになっていく時もあるのですが、「面白いことをできる限り詰め込みたい」っていう気持ちが原動力になっているのだとは思います。

演劇って、すごく原始的な表現の活動だし、ハードモードにやろうと思えばいくらでもできる。だけど、本来は難しくないものだとも思うんですよね。色んな要素を詰め込んでエンターテイメントにもできるし、逆に、深く潜り込んで自分と対峙するような瞬間もあって、すごく振り幅がある芸術だと思うんです。実際に2.5次元やミュージカルなど色んなジャンルがありますし、僕自身、演劇はもちろん、漫画やアニメや小説、映画などもいろんなタイプの作品を見るのが好きだから、そこで感じたことを取り入れられるということも演劇の強みだと思っています。

ミニマムな座組で、最大規模の全国ツアー『養生』へ!

――まもなく全国6都市でのツアーが開幕する『養生』は、ザ・スズナリでの初演も話題になり、第32回読売演劇大賞では優秀演出家賞も受賞した待望の再演です。10周年記念公演であり、ゆうめい史上最大規模の公演でもありますね。

そうなんです。規模としては最大なのですが、座組みはとてもミニマム。初演は僕とキャストの4人で稽古場でコツコツと作っていたのですが、ポータブルに様々な場所で成立できる可能性のある作品だとも感じていたので、ツアー公演で各地を巡れることはとても嬉しいです。これまでの作品の中でも反響の大きかった作品で、「ゆうめいの中で一番好き」と言ってくださる方も多かったんですよ。

一方で、演劇って劇場は暗いし、自分たちの演劇はどちらかといえば静かだし、どうしても寝ちゃうお客さんもいるんですよね(笑)。だから、たとえ寝てしまっても、起きた時に楽しいことになっていたい、面白い状態にしていたいと思いながら稽古をしています。お話が繋がっていく面白さと瞬間的な面白さを重ねたい。それこそ、漫画とかってペラっとめくった1ページが印象に残ったりすることがあるので、そういう感じでやっていきたいと思っています。美術から着想を得た作品なのですが、劇場の広さやムードによって形がどんどん変わっていく面白みもあると思っています。お金払って時間をかけて観に来てくれた人をなるべく後悔させないように、初演よりさらに面白い演劇を作りたいです。

――登場人物が理想の表現活動と現実の労働の差に葛藤する様子も印象的でした。最後に改めて『養生』に込めた思いやその見どころをお聞かせ下さい。

美大を出たとしても、作家として活動できるのは一握り。そんな中で多くの人がやりたいこととは関係のない仕事をする。そういう意味で、『養生』は「労働」の話でもあるし、「ないものねだり」の話でもあると思っています。才能に溢れている人もいれば、その才能に嫉妬をして自分を見失っていく人もいる。これは芸術や表現に限らず、会社員のキャリア競争にも言えることですし、もっと言えば資本主義についての話でもある。じゃあ、その苦悩が起こった時にどうしたらいいのか。そのことに様々な視点から光を当てた作品です。

演劇って、言ってしまえば、ギャンブルだと思うんです。めっちゃ面白いかもしれないし、めっちゃつまらないかもしれない。そして、1回の出会いで何かが“確変”する可能性もある。チケット代はかかりますが、パチンコよりは経済的な気もするので、1回パチンコ行くのを我慢して、代わりに『養生』を試しに観てもらえたら…(笑)。飽きやすい人ほど案外ハマるかもしれません!

演劇ライター・丘田ミイ子の[ゆうめい]レコメンド

生きていて言葉にできない感情になる瞬間は数多くありますが、そのどれとも違うし、その全部でもあるような。「これまで使ったことのない感情を使った気がする」。ゆうめいの演劇を初めて観た時、私はそう思って動揺しました。動揺しながら、三度も劇場に足を運んでいました。そんな経験は初めてでした。誰にも何にも触れられなかった心の場所に演劇が潜り込み、感じたことのない感情の在処と結合して、そのまま体も諸共揺すぶってくるような。帰路でも持続する衝撃の中、その強過ぎる余韻を中和させるかのように私はふと「なんで、“ゆうめい”?」と思いました。そうして開いた公式HPにはこんな言葉がありました。

『「夕と明」「幽明」生命の暗くなることから明るくなるまでのこと、「幽冥」死後どうなってしまうのかということから。「有名になりたいから“ゆうめい”なの?」と思われがちの名前から「物事には別の本意が存在するかもしれない」という発見を探究する』。

ゆうめいの演劇を語るとき、私はどうしてもこの由来を添えずにはいられません。光の中の影を、影の中の光を掬い上げるゆうめいの演劇において、この由来はそのどの作品にも通底する主題であると感じるからです。

「聞いて下さい。乗り越えないとなんで。」
「終わらないっすよこのままじゃ」
これは、まもなく開幕する名作『養生』で登場人物が発するセリフの一部です。観終わった時、なんてことのない会話の、なんてことのない一言が全く別の温度と深度、手触りを以て心身を揺さぶってくる。そしてそれは、音楽においても同じことが言えます。ゆうめいの演劇で使用された劇中歌はもうその瞬間から、“あのシーン”を思い出すための歌に変わる。亡き友人の力強い眼光を、泣き震える母の足元を、夜勤に始まり終わるクリスマスを思い出さずにはいられない。自作した「ゆうめいプレイリスト」を聴く度に私は劇の中に立ち止まるような気持ちになります。今見ている世界に、景色に疑いがある。そんな人にこそ、そんな時にこそ、ゆうめいの演劇に出会ってほしい。だって、いつだって「物事には別の本意が存在するかもしれない」から。

丘田ミイ子プロフィール

『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、演劇批評誌『紙背』などの演劇媒体を中心に、劇作家や俳優のインタビューや公演の劇評を多数執筆。CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭の審査員も務める。

劇団プロフィール

舞台・映像・美術・文章を発表する団体として2015年に設立、東京を拠点に活動。個々人の原体験を掘り下げ、体験ルポ・アニメ・ドラマ等での労働経験を積んだ結果、反動的にも生まれた戯曲と美術、現在と劇を往復する空間演出が特徴。当事者の実父が出演する『姿』が話題となり、2024年に『ハートランド』で第 68 回岸田國士戯曲賞を受賞。2025年に『養生』で第 32回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。ゆうめいの由来は「夕と明」「幽明」生命の暗くなることから明るくなるまでのこと、「幽冥」死後どうなってしまうのかということ。
公式サイト 公式X

新作情報

ゆうめい10周年全国ツアー公演 『養生』

作・演出・美術:池田亮(ゆうめい)

出演
本橋龍(ウンゲツィーファ)、黒澤多生(青年団)、丙次(ゆうめい)
日程 会場
2025年11月1日(土)~3日(月・祝) ロームシアター京都 ノースホール
2025年11月8日(土)~9日(日) 三重県文化会館 小ホール
2025年11月29日(土)~30日(日) いわき芸術文化交流館アリオス 小劇場
2025年12月6日(土)~7日(日) 札幌文化芸術劇場 hitaru クリエイティブスタジオ
2025年12月12日(金)~13日(土) 高知県立県民文化ホール オレンジホール
2025年12月19日(金)~28日(日) KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

新連載『ゲキドウ』第1話の続きはこちら!

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