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YJC第1巻発売記念特集

「死刑執行人サンソン」が生きた時代

chapter3

サンソン
模様

フランス革命の足音―。四代目“ムッシュー・ド・パリ”シャルル-アンリは、生まれながらの“矛盾”を抱えたまま、運命の渦に巻き込まれる―!!

処刑は大衆娯楽だった

ところで、残虐な処刑に心を痛めていた人ももちろん多かったのだが、もう一面においては、処刑が当時の人々にとって一種の娯楽、見世物になっていたということを指摘しておく必要もあるだろう。国家の側が処刑を公開していたのは、見せしめのためだった。しかし、一般の人々は、国家のこのような願望をほとんど意に介していなかった。人々にとっては、処刑を見物することは、スポーツ観戦や観劇と同じように、一種の気晴らしに近かった。友人知人とわいわい騒ぎながら、ひとたび処刑が開始されると、その光景を固唾を呑んで見守るのであった。

革命前の様々な処刑

死刑が執行される主な処刑場はパリの中心地、パリ市庁舎前のグレーヴ広場(前頁に地図記載)。死刑囚はセーヌ川をまたいでその威容を誇る中世の建築、コンシェルジュリ監獄に収容され、この広場に馬車で運ばれ処刑される。現代においては観光客あふれるパリの中心地で、処刑は一大イベントとして行われていたのである。

革命前にはいろいろな処刑があった。絞首刑、斬首刑、火炙りの刑、車裂きの刑、八つ裂きの刑等々。斬首刑が見事成功する以外は、どれも長時間に渡って大変な苦しみを味わうことになる。

革命期の人々は、斬首がもっとも苦痛少なくして迅速に人を死に至らしめる"人道的"な方法だと考えた。だが、剣で人間の首を斬るというのは、とてつもなく難しいことなのである。それゆえに執行人が一太刀で首を打ち落とすと群衆は喝采を送るのだが、不手際を犯すと死刑囚への怒りは処刑人へと転嫁し、最悪の場合は暴動に発展することもあったという。人を死刑にするというのは、死刑執行人にとっても命懸けなのである。

フランス革命、「自由と平等」の思想とギロチンの発明

フランス革命は世界史の十大事件に確実に入る出来事である。その影響は世界中の国々に波及した。

革命前は、「血筋=生まれ」によってあらかじめ人間の運命は決まっており、人間が平等でありえるはずがないというのが常識だった。だから、世界に先駆けて「人間の自由と平等」を宣言し、身分制の打破を世に呼びかけたのはフランス革命の不滅の功績である。つまり、身分が制度化された封建社会から、現在のような個人の能力が問われる近代社会へと切り替わる世界的流れを決定的なものにしたのである。わが日本も当然ながらこうした世界史的流れの影響を受けつつ発展してきた。現在我々の社会の根本原則となっている「国民主権」「法の前の平等」などはフランス革命によって確立されたもので、われわれもその精神を取り入れているわけである。

その、身分制度の時代に「自由と平等」を求めた思想と、斬首と同じく"人道的"観点から、名高き処刑機械「ギロチン」が生まれる。なぜギロチンが「自由と平等」の思想と関係があるのかというと、革命前は、同じ罪を犯して死刑の判決を受けても、貴族なら斬首、一般庶民なら絞首というふうに、身分によって処刑の仕方が違っていたからである。それは平等の原則に反する、人間の平等が宣言された以上は身分の如何を問わず同一の処刑方法でなければならないという議論が、ギロチンが誕生するきっかけになった。

こうして、「自由と平等」の理想から導き出された処刑機械ギロチン。その生みの親であるギヨタンとルイ博士はともに医者である。もっとも苦痛少なくして人を死に至らしめるギロチンは、医学的、科学的にも完璧なものであったのだろう。だが、あまりにも簡単に、迅速に、人を処刑できてしまうところに問題点があった。そしてその死刑執行の指揮を執るのは、四代目「ムッシュー・ド・パリ」シャルル–アンリ・サンソンなのである。

国王から任命された名誉ある職、だが大衆の前で同胞の命を絶つ姿は忌み嫌われた。人の幸せを願う心の持ち主でありながら、処刑しなければならない、己への呵責。世襲という時代背景で、自分の都合で家業をやめることはできない。さまざまな矛盾を抱えたまま、「ギロチン」という処刑機械を携えて、「ムッシュー・ド・パリ」は、フランス革命の激流へと巻き込まれるのである―。

革命前の処刑

車裂きの刑
車輪に縛り付け、腕足胴を鉄棒で砕き、死ぬまで放置する。同図版の執行人は三代目バチスト。
絞首刑
斬首、火炙りの刑と共に人類史と同じ程古い刑。絞首刑の後は数日間放置されることもあった。
火炙りの刑
図版は1680年、黒ミサ等で断罪された「ラ・ヴォワザンの火刑」。高名なジャンヌ・ダルクも火刑。
八つ裂きの刑
四肢を馬に繋ぎ引き裂く刑。 1610 年国王殺害罪のラヴァイヤック、1757年ダミアン事件で執行。
革命時に発明された「ギロチン」
医師ギヨタンが提案、ルイ博士により開発された。受刑者を固定し、勢いよく落下する刃で首を切断する。1792年4月、初めて使用された。
国王ルイ十六世の処刑
1793年1月22日。大衆が埋め尽くすコンコルド広場で執行された。神から王権を授かりし国王の処刑は革命の大きな節目である。

『死刑執行人サンソン ─国王ルイ十六世の首を刎ねた男』

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