刑罰の起源は、「復讐」である。現代の刑罰は犯罪者の更生を主眼としているが、古来の刑罰は自らが受けた被害や不正義と同じ程度の被害を相手に与えることで、いわゆる「お互い様」の状態に持っていくことが目的だった。よって、被害者が受けた不正義が大きければ大きいほど、犯罪者の受けるべき報復が増していき、特に重大な犯罪には、罪人の命を以って償わせることになる。こうして死刑は究極の復讐として誕生したのだ。
しかし、復讐の権利を個人に与えては、復讐が復讐を生んでしまう。復讐の連鎖を断ち切り、加害者と被害者を最小限に抑えるため、時の政府は犯罪者に対する復讐の権利を国家で独占した。そして市民の命を奪う死刑は、国家が国民に対して持つ究極の権力の象徴となったのだ。
その究極の権力を執行する者こそ、サンソン家に代表される死刑執行人だ。彼らは死刑執行を通じて、不正義を正し、正義を実現する国家の要職であった。サンソン家の処刑剣にも描かれていた「正義の女神」は、公平を象徴する天秤と生殺与奪の力を表す剣を持つが、この姿こそ、権力と正義が持つ究極の力であり、死刑執行人のあるべき姿であったのだ。
近代以前の死刑は、現在のものと違い「どのように死んでいくか」が重視されてきた。あまりに大きな不正義には、ただ死ぬだけでは復讐の釣り合いが取れないと考えられたのだ。この釣り合いをとるために様々な刑罰が考えられたのである。多くの死刑は残虐なだけで単純に見えるかもしれない。しかし、綿密な準備と十分な技量、そして何よりも、目前の惨劇に動じず、冷静に処刑を執行できる強靭な精神力を持つ真のプロフェッショナルでなければ死刑は成功しない。死刑執行人たちは、正義の執行者であるという強烈な自負と誇り、そして義務感と自制心を併せ持つからこそ、数々の残酷な刑罰を執行することができたのだ。