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YJC第2巻発売記念特集!! 数奇なる歴史

死刑執行人が見た死刑大全 禁秘の死刑目録

chapter3

ルーカス・クラナッハ
模様

『イノサン』の舞台、18世紀フランスは身分制社会。罪人の待遇もまた、身分により違った。サンソン家の仕事の流れを追う。

逮捕から処刑。そしてサンソン家の流儀。

逮捕された犯罪者は、パリ中央のコンシエルジェリなどの牢獄に連行され、取調べと裁判を受け、グレーヴ広場で処刑される。身分社会では、容疑者・罪人の処遇も身分により変わった。

まず、コンシエルジェリ内では3種類の待遇があった。貴族であれば、最高級の待遇。いわゆるブルジョワと呼ばれる裕福な平民はピストールという雑居房で過ごす。そして、金を払えない平民はペイユーと呼ばれる雑居房に放り込まれた。同施設内で行われる「取調べ(審問)」でも、身分による扱いの違いは如実だった。

死刑判決が下るとサンソン家の仕事の始まりだ。大抵の場合翌日には死刑執行の命令文書が発行され、その翌日に執行される。

処刑においても、貴族と平民では様々な待遇の違いがあった。処刑方法でも貴族は斬首刑、平民は絞首刑や車裂き刑と差別がある。そして前者の場合、遺体は比較的速やかに家族の元に返されるが、後者の場合は長期間、晒し者になるため、家族の下に返還されても腐敗しているものが殆どだった。

つまり、身分が違えば、より苦痛と屈辱の大きな処刑が下される。だが、サンソン家には処刑台で密かに罪人を皮紐で絞殺する技があった。「レテントゥム」と呼ばれるその技は、当時最も残酷な「車裂き刑」で行われ、死刑囚を本来の苦しみから解放する温情措置だった。それが、心優しいサンソン家の流儀でもあった。

コンシエルジュリからグレーヴ広場まで
死刑囚は馬車や荷車に乗せられ、グレーヴ広場へと移動。重大な犯罪では、教会の前に跪き、神、国王、祖国に許しを請う「アメンド・オノラーブル」という刑罰が科せられることもある。
コンシエルジュリ
元は王宮であったが、1391年から監獄として機能し始める。最高裁判所に隣接しており、革命期には多くの命を断頭台に送った。
グレーヴ広場
死刑判決が下ると、翌日には死刑執行令発行、その翌日に死刑執行。サンソン家は直ちに助手を処刑場に派遣し、処刑台の設置を開始する。
レテントゥム
レテントゥムを下すシャルル『イノサン』第17話

身分によって別れる処刑までのプロセス

マークのある項目をクリックすると、詳しい情報を閲覧できます。

  1. 逮捕

  2. 逮捕
    コンシエルジュリ 最高級独房
    ピストール(中級の雑居房)
    ペイユー(最低の雑居房)

  3. 逮捕
    通常尋問(ケスティオン・オルディネール)
    特別尋問(拷問)(ケスティオン・エクストラオルディネール)

  4. 逮捕
    斬首刑
    車裂き刑
    絞首刑

*1 窃盗、強姦、詐欺等 *2 殺人、強盗、異端等

コンシエルジュリ 最高級独房

椅子や机、書物などの他に筆記具も完備された独房で、自分の家具を運び込むこともできたらしい。当時の貴族たちは死の間際に回顧録のようなものを書くのが慣わしだったので、そのための設備である。

ピストール(中級の雑居房)

簡単なベッドと椅子、そして(おそらく)テーブルが用意され、必要最低限の生活を送ることができた。なお、ピストールとは1ルイ金貨の別名で、部屋の入居価格として語源になったと考えられる。

ペイユー(最低の雑居房)

「忘却の地」とも呼ばれるこの部屋にはベッドは無く、囚人たちは藁にくるまって寝た。当然ながら家具は無く、衛生状態も最悪だったと思われる。フランス語で「藁」を意味するペイユーが語源。

当時の社会では、科学的な証拠を揃える事が困難であったため、自白が重視された。通常尋問は、刑の確定前または証拠不十分な容疑者に対する尋問で、容疑者に対する拷問などは行われない。

特別尋問(拷問)(ケスティオン・エクストラオルディネール)

証拠十分と見なされた罪人に罪を認めさせたり、共犯者などの自白を強制させるための拷問を特別尋問という。17世紀末まで各都市が別々の拷問法を採用していたが、その後、パリ最高評議会によって水攻めと編み上げ靴の2種類に統一された。

斬首刑

貴族にのみ処される「剣」による斬首刑。一度で成功させる責務も。

車裂き刑

手足を棍棒で砕き、長時間に渡る苦痛と、晒し者にされる処刑。

絞首刑

ロープで罪人を吊るし、窒息により殺す。古来からの処刑法。

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