『私が桓騎に教えられたこと』
40歳 女性
好きなキャラ:羌瘣
桓騎が大嫌いだった。
「キングダム」を10年以上愛読し続けて、たくさんのキャラクターが出てくる中で、もっとも早く死んでほしいと思うほどだった。残忍な性格で、目を背けたくなるほどの蛮行を繰り返し、他人の痛みもわからない、冷血な最低の人間だ、と嫌悪していた。
ところが、いざ桓騎が亡くなった時、今までの誰が亡くなった時よりも、一番泣いた。
桓騎が実は「底辺の者たちが奪われ続けることに怒りつづけ、この不完全な世界に絶望していなかった」という事実が、私が桓騎に向けていた嫌悪感をすべて吞み込んで、それを反転させ、全く違う感情となり、胸の奥がえぐられた。気が付いたら涙が止まらなくなっていた。
召が、自分の焼けただれた顔を見た桓騎が、水たまりで転んだ友達を見るように言葉をかけてくれたことを告白し、「桓騎はね、そういうやつなんだよ」と言うシーンでは、嗚咽に近い泣き方をしてしまった。
あんなにも願った悪役・桓騎とその側近たちの死が、自分でも悔しいほどに、こんなに心を揺さぶられるなんて。漫画を読んでいて、こんな不意打ちをくらったことは初めてだった。
私たちは小さい頃から、日本昔話では「良いおじいさん」と「悪いおじいさん」が登場し、良いおじいさんは財宝と幸せを手にし、悪いおじいさんはこらしめられ、テレビアニメでは正義のヒーローが悪をボコボコに成敗し、皆から称賛される…という構図が当たり前のようにインストールされているように思う。
加えて私自身は、いわゆる“優等生”として「自分は正義側だ」と信じて生きてきたので、桓騎の悪行に眉をひそめ、「討伐すべき」という嫌悪感があった。
けれど、実際に生きるこの世界には、正義も悪もない。
白黒付けられない複雑な感情の機微もあるし、そのことは作中でも信が直面し、時に苦しんでいる。
そう、あんなに排除したかった、一番自分とは遠い存在だと思っていた桓騎は、実は私の中にいたのだ。
自分は正義側だと思っている私にだって、当然、暗い闇の部分や、ずるさ、弱さ、どうしようもない欠陥や、意地悪な感情だってある。
そして私は、人が理不尽に苦しんだり、病気になったりすることが昔からどうしても嫌で、そこを諦めきれず、怒りつづけているから、健康に携わる仕事をえらんでいるんだ、と分かったことは、感動に近い発見だった。自分の仕事への熱意の源をよりによって桓騎に教えてもらうなんて、本当に驚いた。
「キングダム」を夢中になって読み進めている間に、自分でも気が付かなかった、生々しい、自分という人間が炙りだされてしまう。
私にとって「キングダム」は、エンタメとしての漫画という枠を超えた、自分自身を知るための学びの書であり、そして「体験」だ。紀元前の人物の生き方が、現代の自分に影響を与えるなんて、「史記」の少ない情報からこの「キングダム」という壮大なストーリーを作り上げた原先生の手腕には、頭が上がらない。
また「キングダム」には残忍なシーンも多いが、徹底的に人の闇を描き切ることで、信をはじめ登場人物が放つ強烈な光が浮き彫りになり、まっすぐ、飛矢のように心に刺さってくる気がする。
“人の本質は光か闇か”という人類最大のテーマのようなものを、原先生が体当たりで、命の火を燃やして描かれている「キングダム」を、これからも人生の指南の書として愛読しつづけたい。