『父と私と「キングダム」』
29歳 女性
好きなキャラ:桓騎
「キングダムって知っとる?面白いで」
これは、大学進学を機に家を出たのち連絡不精となった私へ、久方ぶりに父が寄越したメッセージです。生活のこと、勉学のこと、色々と尋ねたいことは山々だったはずの父が、しかしどうにか私の気を引こうと考えて絞り出した話題。私にとってキングダムは、今は亡き父との思い出に深く根差しています。
はてさてキングダムとはどんな話か、と父に問うと、古代中国・秦の始皇帝に纏わるものと言うので、歴史に疎い私はやや怯んでしまいました。しかし父とは読書の趣味が似ていますので、せっかくのことと思い就寝前に一冊ずつ単行本を読むことにしましたが、一度手にしてしまえば直ぐさまこの取決めは意味をなさなくなり、約一週間で当時発売されていた五十巻ほどを読破した次第です。
とにかく、信という主人公が魅力的で驚きました。親友を失ったことにより迸る憎悪や怒りも、その先で徐々に戦いの意味や誇りを理解していくさまに繋がり、未熟な様相すら力強い成長に繋がっていくのが見事だと感じます。特に序盤で感銘を受けたのは、山の民たちに勇ましく啖呵をきるシーンでした。死んだ者のこと思うならばその夢を叶えるべきだという言葉は、人の命を悲しみでは終わらせない可能性を見出させてくれるもので、今後の私の人生をずっと励まし続けてくれるはずです。
しかし、史実に準えて展開していく物語ですから当然、綺麗な描写のみならず、生々しい人間性や血に塗れた戦の恐ろしさも突きつけられます。自国のため、あるいは自身の欲望や目的のためとあらばとことん残酷になれる人々の姿に、何度も固唾を飲みました。ただし、そういった野心や強い愛執といった要素も、各キャラクターの個性や奥ゆかしさに思えてくるものですから、読み進めていくと、好きな人物の数がどんどんと増えていくのです。
「ちなみに、お父さんは誰が好き?」
「王騎将軍やな」
「聞かんでもわかるんよそれは。みんな好きやんか!」
「李牧もええキャラしてると思うわ。天才やのに妙に人間じみとるとこあるし」
「確かに…羊飼いに軍略の天賦備わっとるみたいな、ね。不思議な感じする」
「お前は誰が好きなん」
「桓騎」
「うーん、わかる。わかるで。かっこええもんな。でもあんまり娘からは聞きたくない名前…」
連絡不精が嘘のように、私と父はキングダムの話でおもしろおかしく盛り上がりました。闘病のため入退院を繰り返す父でしたが、漫画は、たとえ病床においても、たとえ住む所が遠く離れていても、平等に、共に楽しめる媒体です。たかが娯楽と軽んじることなかれで、キングダムにはあらゆるキャラクターの思想や信念、主義主張が盛り込まれていますから、これについて感想を言い合うということは、お互いの思考や持論について討論することにも繋がっていきます。
以前、こんなことがありました。麃公将軍の亡き後、将軍には子がいなかったこともあり、信には特別熱意をもって接していた様子が語られるシーンについて、父が言ったのです。「遺伝は血縁だけに備わるものではないと思う。たとえば言葉で意志を紡いでいくことができれば、それも遺伝であるはず」と。私は父からそういった考えを聞くのは初めてでしたから、思いがけず父の内面や人間性に触れることとなり、こそばゆいような誇らしいような思いでした。
闘病を続けた父は、今生もはや会うことの叶わないところへ旅立ちました。もちろんそのことは今でも悲しく、不意に私の胸には途方もない孤独感と悲しみが飛来します。そうして辛くなったとき、キングダムを読み返しながら、父と語り合ったさまざまな感想を思い起こして、慰めと励ましを噛み締めるのです。「王騎将軍も、他の将らもやけど、『死んだ』っていうより『生き抜いた』って感じが、かっこいいわな」と言っていた父へ、私は今、「貴方もそうだよ」と笑いつつ、これからも連載を末長く応援させていただきたいと思っています。