トランジションバスケで
掴んだ史上初の銀メダル
日本車いすバスケットボール界の悲願だったメダル獲得を、自国開催の東京パラリンピックで成し遂げた、男子日本代表“闘魂ニッポン”。全8試合の激闘はテレビやインターネットで観戦した人々を大興奮させ、試合のたびに「車いすバスケ」という言葉がTwitterのトレンドに入った。格上の相手に苦戦を重ねながら、ひとつ勝つごとに強さをレベルアップさせ、史上初のパラリンピック銀メダルへ辿り着いたその軌跡は、東京パラ最大の感動をもたらした。
日の丸のプライドを胸に、プレッシャーをものともせずにそれぞれの役割を全うし、大活躍を見せた12名の “闘魂ニッポン”戦士たち。その中でも、大きな注目を集めたのが、22歳の鳥海連志だった。予選リーグ初戦のコロンビア戦を15得点、17リバウンド、10アシストのトリプルダブルでスタート。その後もチーム最長となる約35分の平均出場時間で、1試合平均10.5得点、10.8リバウンド、7.0アシストのスタッツを積み上げた。車いすバスケの中でも障害の重度な2.5クラスでありながら、得意のティルティングで大型センターとゴール下で渡り合った。コートでは誰よりも速く、制御不能な動きで相手を翻ろう、日本が完成を目指してきたトランジションバスケを体現してみせた。
挫折を繰り返しながら
上り続けた世界への道
連志が初めてパラリンピックに出場したのは5年前のリオ大会。まだ高校3年生だった。
「プレータイムも短かったし、チームから重要なプレーを任されることもありませんでした。自分がやりたいバスケもできないまま、不完全燃焼でいつの間にか終わっちゃった、悔しさが残る大会でしたね」
こんな不甲斐ない自分がバスケを続けていけるのかと悩んだこともあったという連志。バスケ熱に再び火をつけてくれたのは、U23日本代表だった。
「僕とタク(古澤拓也)で点を獲るチームでした。パラの経験者は僕だけだったので、年齢は下でしたけど、チームを引っ張っていこうと強く意識していました。役割は大きくて大変だったけど、やりがいがありましたね。やっぱりバスケは楽しいなって思いました」
2017年トロント世界選手権でU23日本代表は、現日本代表にも通ずるトランジションバスケで、高さを武器にした強豪を破り4位の大躍進。連志はオールスター5にも選出された。
2018年、連志はA代表に戻って世界選手権ハンブルグ大会を闘った。リオと比べて出場時間も長くなり、求められる役割も増えてきた。日本代表は史上初の予選リーグ1位突破を決めながら、決勝トーナメント初戦で敗れて9位。続くアジアパラ競技大会ではイランに敗れ2位、2019年アジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)では韓国に連敗して4位に終わった。「スピードは驚異的だが、フィジカルで押し切れば負けることはない」それが日本代表への世界の評価だった。
「日本代表は強くなっている、強化の方向性は間違っていないという手応えをみんなが感じていました。でも負けられない試合で勝ち切れない。何が足りないんだろうって」
その足りない何かを求めて、東京パラリンピックを半年後に控えた日本代表は大きな賭けに出た。及川晋平HCが監督に就任、現役時代から勝負強さに定評のあった京谷和幸ACをHCに昇格させて、勝ち切るためのメンタルとディフェンスの強化を進めることになったのだ。
新型コロナでパラリンピックが延期
新たなプレースタイルへの挑戦
しかし新体制がスタートしたばかりの2020年3月、新型コロナウイルス感染症による世界的なパンデミックが発生。東京パラリンピックは1年延期されることが決定した。
代表合宿は中止、練習できる体育館も閉鎖されて、連志はひとり河川敷を走り、人気のない公園を探してドリブルやシューティングを繰り返した。考える時間がたっぷりあった自粛生活の中で、連志は自分を変える大きな決心をする。
「まず自分から何かを変えようと考えました。僕が点を取るプレーを代表に落とし込んだらどうなるだろう・・・・・・。その分、他の選手がもっとラクになって余裕ができるかもって」
連志は所属するクラブのパラ神奈川SCではポイントゲッターを任されている。しかし、日本代表には他にも高い得点力を持つ選手たちが多いため、自分から積極的に得点をねらうことは少なかった。その封印を解いて、理想とするオールラウンダーへの道を追求してみようと考えたのだ。
コロナ厳戒態勢の中で再開された2020年12月の代表合宿で、連志はパラ神奈川での練習のように点を取りにいった。
「いきなりやりました。誰にも相談してないです(笑)。最初はインサイドに入ってもパスなんかこなかったし、周りも『何か違うな?』って感じで。でもテツさん(宮島徹也)が気づいてくれて、ヒロ(香西宏昭)やリン(川原凜)もパスをくれるようになって」
試合形式の練習では、ガツガツ点を取りに行く連志にディフェンスが振り回され、味方選手のチャンスが増える好循環が生まれた。紅白戦でも連志の入ったチームが連戦連勝。これでチームも連志が点を取る新たなパターンをポジティブな変化として捉えるようになった。
パラリンピック開幕!
攻めのディフェンスで勝負
2021年8月24日、1年の延期を経て、パラリンピックがついに開幕――。1年半以上にわたって外国チームとの対戦ができなかった日本代表は、ぶっつけ本番で初戦となるコロンビア戦を迎えた。連志はスタメン。
「僕を含め最初はみんな硬かった(笑)。相手の情報がなかったので、やるまでは不安はありました。でも始まって第1Qで相手のチェアスキルやシュート力を見て、勝てるなと思いました」
63―56の快勝で、連志はトリプルダブルの活躍を見せたが、内容には満足できなかった。自分たちが磨いてきたトランジションバスケなら、もっと大差で勝てたと感じたからだった。
その自信が確信に変わったのは、2戦目の韓国戦だった。ライバル韓国に粘られながらも、ディフェンスからリズムを作って59―52で勝利。40分フルタイム出場した連志は、わずか4得点だったが試合後の表情は明るかった。
「東京パラで日本がやりたいと思っていた試合内容がこれ。京谷HCがずっと言っていた『ディフェンスで世界に勝つ』っていうことを実現した試合でした。僕自身もディフェンスの要として機能できたっていう充実感がありました。大会を振り返ってみると、この試合が日本代表のターニングポイントになったと思います」
“勝ち切れない善戦チーム”だった日本代表の快進撃が始まった。3戦目は、カナダに62―56で逆転勝利。連志は車いすバスケ界史上最高の選手と言われるパトリック・アンダーソンに挑み、バチバチやりあった。
「パトリックが僕のディフェンスに、ムキになってくれて最高に楽しかった。1on1なら止められると自信を持ちました。大会後に彼がDMくれたんですよ!『いいプレーだった。日本代表もメダルにふさわしいチームだったよ』って。やっぱり選手としても人間としてもすごい人だなって思いました。それにしても、試合後の疲労が半端なかったです。逆転勝ちで試合が終わってほっとしたら、なぜかぶわっと涙が出てきて・・・・・・」
京谷HCは、連志の心身の疲労を考慮して、4戦目のスペイン戦前半は温存。61―79で敗れるも、最終戦で世界トップレベルの高さを誇るトルコを67―55と抑えて、日本代表は予選リーグを2位で突破した。
決勝トーナメントの激闘
闘うたびに強くなる日本代表
決勝トーナメントの初戦、準々決勝は日本代表にとってこれまでずっと鬼門となってきた。相手はお互いに手の内を知り尽くしたオーストラリア。
「本音ではオーストラリアとはやりたくないなと思っていました。何度も対戦してきたからこそ、予選リーグの内容を見て、東京に合わせてメダルをねらえるチームを作ってきたのがわかったから。やりにくい相手でしたが、竜我(赤石)がいいファイトを見せてくれて、ディフェンスから試合の流れを作ることができました」
連志もその流れに乗って15得点、12リバウンド、9アシストと爆発し、61―55で日本代表はベスト4へと進出した。
準決勝は、2018年世界選手権王者のイギリス。
「京谷HCがパラの前から『ファイナル4に残って、1勝』って目標を言ってたんです。ここで最低ひとつ勝てば、メダルなんですよね。これでようやくスタートラインにつけたなと思いました。今回のイギリスなら接戦に持ち込める、勝つチャンスもあるぞって」
日本代表は、この試合で東京パラリンピック最高のパフォーマンスを見せた。第1Qで8点のリードを許すも、じわじわと追い上げて第3Qで逆転。終盤のイギリスは日本のスピードに対抗できず、日本が走りまくって点差を広げ79―68の完勝だった。
「ディフェンスで削って、走り勝つ。日本にしかできない内容で、僕たちのベストゲームでした。最終Qは相手が消耗していたので、トランジションからレイアップ、アーリーで走っただけ点が取れました。だから僕の20得点はおまけみたいなもんです。勝った瞬間、みんな泣いてましたよね。ずっとメダル、メダル、メダルを獲るって言い続けてきたから、その目標にようやく辿り着いたという喜びと安堵でいっぱいだったんだと思います。僕もちょっとだけ、ちょっとですよ(笑)」
日本を熱狂させた初めてのファイナル
さらなる高みへ新エースが導く
決勝の相手アメリカは、リオの王者で、世界選手権は2位。今回も優勝候補の筆頭に挙げられていた。コロナ以前の遠征試合では大差をつけられて連敗、まったく歯が立たなかった。
「僕がこれまで対戦した感覚では、一番バスケがうまくて、一番強いのはアメリカ。みんなが観てくれる、応援してくれる東京パラの決勝の大舞台でそのアメリカが相手。『最高だな、楽しいだろうな』ってワクワクしていました」
試合開始から日本のシュートがタッチ良く決まるが、アメリカは落ち着いて第2Qに逆転。勝負を決めようと点差を広げにきたアメリカに、日本は粘り強くディフェンスして持ちこたえた。
「アメリカと競ったのは初めてだったけど、日本が点を決めた後の悔しそうな顔を見て、アメリカにも余裕がないぞ、僕たちも行けるぞって思いました」
カバーし合いながら全員で必死に守り、マイボールになったら全員が全力でゴールへ向かう。この試合にすべてを捧げる覚悟を見せた日本は、第3Qに追い付き逆転に成功する。
「でも、追い詰められてもアメリカは、ちゃんとシューターに打たせるシチュエーションを作って、しっかり決めてきてました。うまいな、これがアメリカの本当の強さだなと感じました」
最終Q、6分を切ったところでオフェンスリバウンドを取った連志がティルティングからシュートを決め、56―51と点差が最大の5点と開いた。アメリカはあわてることなく、スティールと3連続ゴールで逆転。この直後、連志の記憶に焼き付いたプレーが生まれる。
「左エルボーからドライブして右手で打ったレイアップ。あれが決まっていたら、もう一度日本に流れを呼び込めたはず。自信があって選択したプレーで、間違っていなかったと思います。でも、いま振り返るとストップしてシュートを打つこともできたかなって。プレーの選択肢が少なかったこと、決めきれなかったこと、僕はまだまだ青い。経験が足りないと感じました。優勝したアメリカは、あの緊迫した時間帯にミスをしなかった。接戦だったけど、金メダルは遠いなと思いました」
これまでパラリンピックで最高7位だった男子日本代表は銀メダルを獲得し、大会の最後に最大のサプライズを起こした。飛ぶようにコートを駆けまわった連志は、世界にその存在が認知され、一躍、国内で一番有名な車いすバスケ選手となった。
「日本代表には、僕が入る前から、多くの先輩方が積み上げてきた歴史や魂があって、それが東京で銀メダルに結実しました。いい大会になったと思います。個人的には、反響の大きさに少し驚いています。車いすバスケの『流川楓』って言っていただくのはうれしいんですけど、バスケ一家の我が家では『SLAM DUNK』がバイブルだったんで、あまりにも畏れ多くて・・・。僕はあんなに華麗な選手じゃなく、ディフェンスでポジションを掴んだ選手なので。東京パラの後長崎に帰ったら、家族が『うまくなった』ってホメてくれたんですよ。それが何よりもうれしかったです。感謝を込めてみんなにメダルをかけてあげたいと思っていたんですけど、気が付いたら自分たちで勝手にかけあって騒いでました(笑)」
連志の次の舞台は、2022年5月~6月に、千葉ポートアリーナで開催される男子U23世界選手権。銀メダルメンバーからは、赤石竜我と髙柗義伸も候補入りしている。
「東京パラでは若さと運動量で最後まで走りましたけど、まだ自分には足りないものがあるなと思いました。パスをさばいて竜我や髙柗に好きにやらせるとか、チームとして点を取ってみんなで盛り上がれるプレーを作るとか、個人技で点を取る以外にもゲームを組み立てることができるようになれば、選手としてのステージをもうひとつ上げられると思います。基本はディフェンスから泥臭く・・・ですけど、エースと言われるのは、ウエルカムです。エースとしてやっていく自覚も自信もあります。新しい目標の金メダルに向けて、U23でも、A代表でも、僕が新エースとして日本代表を引っ張っていきます!」