『乾と巽―ザバイカル戦記―』で描く人間
――今年5月に『月刊アフタヌーン』(講談社)にて連載が完結した『乾と巽―ザバイカル戦記―』はどのようなきっかけで始められたのでしょうか。
安彦:それまで近現代史を中心に漫画を描いていましたが、大正時代が抜けていましたので、そこをやろうとしました。大正時代は短くても大切な時期で、その間にロシア革命も起こっています。
――執筆の背景にロシア革命の存在も大きくあったのですね。
安彦:僕たちの世代はマルクス主義の影響が強い世代だったので、ロシア革命は聖域でした。ですから、ロシア革命に介入したシベリア出兵は扱いにくいテーマだったのです。けれども、そこで留まっていたらソ連崩壊で問われることになった「革命」の意味を根本的に考えることができなくなってしまう。
――たしかにそうですね。
安彦:『乾と巽』の主人公・乾は白軍(反革命軍)の側で戦います。そんな主人公は普通いないです。勧善懲悪的に、赤軍が正しくて白軍が間違っていることにされてきましたから、従来は。逆に、それをひっくり返して白軍が正しいっていうことでもないですけどね。大変な混乱と悩みと悲劇があったということです。
――そこも善悪で割り切るのではなく、フラットに歴史を捉え直すという安彦さんの姿勢に繋がっていますね。最近の話では、レーニンも登場します。
安彦:はい。新聞記者の巽がインタビューするという流れで、レーニンを出してみました。レーニンも僕らの時代には神聖な存在でしたが、今回は彼の人柄が伝わるように描こうとしました。
――わかります。最初女の子に優しくする親切さを見せて、途中から雄弁な“革命モード”へと…。
安彦:自己流に分かりやすくしてみました。長々と理屈を語らせるというより、漫画ならではの描き方があるのではないかという。
――他の作品でも多くの歴史的偉人を描かれてきましたが、単に英雄らしくするのではなく、一人の人間として描くという姿勢は一貫しているように感じます。
安彦:そのように描くことができるのが物語を作る人の特権だと思います。
――今回の展覧会では安彦さんが高校時代に描かれた『遙かなるタホ河の流れ』も一部展示されます。この作品は内戦下のスペインを舞台に若い恋人達を描いていると伺いましたが、その後の安彦作品に繋がる「歴史に翻弄される個人」を描いているのでしょうか。
安彦:そうですね。そう意味では当時と今と、気持ちはあまり変わっていないかもしれないです。
――最後に、安彦さんの仕事の軌跡を展示した今回の展覧会で見て欲しいところを教えてください。
安彦:ときには迷走と言えるようなこともありつつ、悪戦苦闘して今までやってきたので、その痕跡を感じてくれたら嬉しいです。