『BUNGO -ブンゴ-』を連載されている二宮裕次先生に突撃インタビュー!
連載を勝ち取るために必要な技術・心構えを伺いました!
【4th inning】 連載するまでの苦労と乗り越え方
「一生貧乏でもいいから漫画を描き続ける」と決意しました。
――連載が決まるまでの間、気分が沈んだときはリラックスや気分転換にどんな方法を取り入れていましたか。
――そうなんですね。私が担当している新人漫画家さんにも、20代後半から連載を目指している方がいます。友人が正社員として働く中、不安定な生活を送っていると心が折れそうになる瞬間があるそうです。二宮先生にはそのような時期はありましたか。
二宮先生 その新人さんと話したいですね(笑)僕も似たような経験はあったので、共感できる話題がたくさんあると思います。
僕の地元は愛知県でしたが、28歳前後になると周りは結婚し、子どもが生まれ、家を建てる時期です。一方で僕は当然月収も低いですし、西友で安いお弁当を買ってはアシスタント仲間と現状に文句を言っていました(笑)全ては自分の実力不足のせいなんですが、ほとんどの時間は苦しかったです。僕は30歳までに連載できなければ漫画を諦めると決めていたので、精神的にも余裕がありませんでした。
でも、僕が連載デビューしたのは32歳です。「30歳でやめてないじゃん」と思いますよね。
――確かに。
二宮先生 実は、僕は30歳の誕生日に連載会議で落選したんです。そのとき、漫画家になる夢を諦める覚悟をしていました。ですが、結果が出た後に会議室から東京の街を眺めていたら、「まだやれる、まだ成長できる」と思ったんです。完全にやり切った感じがしないということは、まだ諦められない。そのときに「一生貧乏でもいいから漫画を描き続ける」と決意しました。
――…めちゃくちゃかっこいいですね。
二宮先生 いま思えばとんでもないです…非常に危険な決断でした(笑)でも、漫画家になれるかどうかは、最終的には描き続ける意志と謙虚な気持ちがあるかどうかだと僕は思います。どんな人でも漫画家になれる可能性はあるはずです。その理由は、漫画は才能になり得るものの幅が広い仕事だから。絵が上手だったり、ストーリー作りが得意だったり、面白い経験を持っていたり。あるいは、何も持っていないという強い想いでさえ、才能になる可能性があります。だから、自分ならではの才能を磨いてください。応援しています。
二宮先生 僕はよく自然を見に行っていました。山や海など、広大な景色に囲まれることで気分がほんの少し晴れるんです。30歳前後のときは高尾山に1人で登ることもありましたね。