「あっあー聞こえる?」

アイの声だ。
アイの声。それ以外の形容が必要ない。
私にとって唯一無二が、胃の中を風が吹き抜けるように。

「音量小さい?そっか、じゃあ皆ボリューム上げて」

相変わらずのとぼけた発言。
人に迷惑を掛ける事へ一切の躊躇がない。
人に迷惑を掛ける事そのものが、大事なコミュニケーションだと言わんばかりの潔さ。
そうだ、アイはこれだった。

画面越しに見るアイは美しい。
思い出が、十数年の時が、何かしらの補正で、実物よりも綺麗なアイの像を
作り上げているかと思ったが、何も関係がない。
アイは誰が見ても、間違いなく美しかった。
若き私が、若さ故の思い込みで、アイを過剰に意識している。
そう思いたかった。

「何の話しようか。別に何も用意してないんだよね。
社長に雑談でもしてこいって言われて。
でも雑談て、どういう事すれば良いんだろ。
あっコメント?コメント読めば良いの?」

投稿された動画には当時のコメント欄は表示されていない。
どういったコメントがアイに届いているのか、私からは伺い知れなかった。

「今日 何 食べた?何も食べてない。服のブランド?ユニ●ロだよ。
好きな本とかある?内緒ー。遊びに行くなら、どこ?秘密ー。」

アイの答えには秘密が、ちょいちょい混ざっていた。
どこが答えられて、どこが秘密なのかのラインもよく分からなかった。
好きな本くらい教えてあげればいいのに。

アイは昔から秘密主義だったのを思い出す。
何を聞いても、のらりくらり躱わされていた。ファンから見れば、
それがミステリアスに映るのかもしれない。
知りたいという気持ちが、その人のカリスマに繋がるものだから。

「嫌いな食べ物は?」

アイが答えに詰まった。
んー、と上の方に視線をやって、カメラに視線を戻さずに
続けた。

「特にないけど、白米はちょっと苦手かな。」

嘘吐け。って思った。
ロケ弁を誰より綺麗に平らげ、余った弁当も持ち帰っていたのがアイだ。
白米だって綺麗に平らげていたのを私は何度も見ている。
風変わりな回答をすれば良と思っているのだろう。
アイのキャラクターには即していた。

「味が嫌いとかじゃなくて、なんていうんだろ、柔らかいでしょ白米って。
たまにさ、砂とか入ってる時ない?ガリッてなるの。あれが怖くて。」

普通 砂なんて入らない。
けれど、言っている事は少しだけリアリティがあった。
柔らかい物の中に突然異物があると怖いというのは、一般的な感覚にも響く物はある。

「白米の中にさ、ガラスとか入ってたらどうしようって思う。
きっと痛いよね。だから、好き嫌いとかじゃなくて、なんていうんだろ、怖い?
うん。白米は怖いから余り好きじゃない。まぁ出されたら食べるんだけど。
ちょっと覚悟はする。」

アイの表情は淡々と笑顔だった。
というより、アイはいつも笑顔なので、通常運転といった風だった。
私には、アイの笑顔は無表情に思えた。いつも。

「結婚願望とかある? 無いよ?」

今度は即答だった。

「分かんないけどね。結婚するビジョンて全然見えない。
皆は私と結婚したいって簡単に言うけど、それってどこまで本心なんだろ。
好きな人が居たら側に居たいって気持ちはなんとなく分かるけど、
結婚したいってなるのはどうして?愛情表現なのかな?ずっと一緒に居たいって言う
意思表示?なるほどねー。ちょっと分かったかも」

アイの表情は少しだけ隙があるように思った。
純粋に疑問で、何かをチューニングしているかのような。

「でも、ずっと一緒に居たいって思うの。最近ちょっと分かるかな。
最近になってようやくだけど」

突然の匂わせに私の肝は少し冷えた。
焦げ臭さに対しては敏感なアイドルとしての本能が私にも少しは残っていた。

 

「親戚の子供がね、可愛くて。ずっと側にいたいなって思う。」

当時のコメント欄は安堵でざわついていただろう。
アイは一度も異性関係が表に出たことはない。
私たちもアイのプライベートなんて知る由もなかったし、
これは過去のアーカイブであってリアルタイムのものではない。
こういう答えが返ってくると分かっていても、やはりひやりとする。

「好きな男のタイプ?内緒。別に言っても良いけど、
自分がそのタイプじゃなかったらイヤじゃないの?
ふーん、じゃあ良いか。」

この日の配信は恋バナが中心らしかった。
アイの恋バナ。私も少し興味があった。
少しだけヘッドホンのつまみを捻り、ボリュームを上げる。

「あんまり私を怒らない人が良いかな。いつも私は何かしらやらかすから。
細かい事がいちいち気になる人は、私の相手すると疲れちゃうと思うんだ。
それってかわいそうだと思うから。そうじゃない人が良いと思う。」

アイのやらかしには覚えがあった。
肝心なところが抜けているというか、社会を生きる上での一般的な教養が欠けている
というかアイドルは発達障害を抱える子が決して少なくない。アイはその典型だった。
アイは人の名前を呼ばない。
呼んだとしても間違える事が多い。
斉藤社長の名前もしょっちゅう間違えて注意を受けていたのを思い出す。
アイは人間を区別できないんじゃないかとメンバーが冗談混じりに言っていた。
アイからみた世界は、人間が皆、のっぺらぼうで、村人AとかBとかが喋ってて、
そこに個体認識が無い。
なんなら自分自身も、ゲームのプレイヤーキャラ位に思っていて、
どことなく他人事のように考えている。
なんて事をゲーム好きのメンバーが携帯機でRPGをやりながら語っていた。
その事は印象に残っている。
その通りかもって思ったのを覚えている。

「好きって気持ちは、たぶん信頼の元に成り立ってるんだよ。
なんだっけ、へんぽーせー?私を好きな人を私も好きになるみたいな。
でも私は結構臆病者だからさ。あんまり好きって言葉を信じられないんだと思う。
人をちゃんと好きになった事、無いから分からないけど」

人は自分自身の常識でしか人を測ることが出来ない。
人を好きだと思う気持ちが無ければ、人の言う好きという言葉も信じられない。
これは大人になってから気付いた事。
浮気している人ほど浮気を疑うみたいな。

「変な感じ。私あんまり自分の事、話すの得意じゃないし、
変な事、言って嫌われるもイヤだし。
でも別に自分の事 話すのって嫌いじゃないんだよね、矛盾してるみたいだけど。
知って欲しい。私の汚いところとか、やなところも全部ひっくるめて、
それで良いって言って欲しい。」

アイの本心みたいなのを初めて聞いた気がした。
日記みたいな感じなのだろうか、アイはコメントと会話しているように見えて、
結局の所、自分と対話しているように思えた。

私にも覚えがある。コメントを拾って、話をする時は、自分との対話になりがちだ。
コメントの少ない情報量を補完しようとすると、どうしても自分が入ってくる。
次々と来るコメントに追われて、自分の本心と違う所に話が着地しても、
そのまま次の話題に移る事も多いのだけれど。

そもそも配信って視聴者受けを狙うものだし、思っていない事を言うなんてざらにある。
けれど、嘘を言いたくない瞬間というのは必ずある。
自分というものを、定義する時とかは特に。

「私は、ほんとはさぁ」

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