MLBでの野茂英雄、サッカーでのカズと並んでバスケ界では、
伝説と呼ばれる男がいる。
高校時代に史上初の9冠を達成し、
その後、日本人初のNBAプレーヤーになった。
田臥勇太、現在40歳。
全ては、この男から始まった──────。

週刊ヤングジャンプ52号(2020年11月26日発売)掲載
構成・文/市川光治(光スタジオ)  取材・文/菊池慶剛 写真/田口有史
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日本人初のNBA!!
まだ旅の途中…

井上雄彦と田臥勇太…。2人の天才の邂逅にYJが関わっていたのをご存じだろうか。今を去ること、2004年2月、YJの特別企画で2人の初対談が実現し、米国の地ロングビーチで対面を果たしている。
すでに16年以上が経過した今でも、田臥勇太は当時のことをまるで昨日のことのように覚えていた。
「やはりバスケがすごい好きで、よく知っている方だなというのを今でもすごく覚えています。アメリカに来ても、アメリカを感じている人だなというか、知っている人だなという印象を受けました」
この時の田臥勇太は本格的にNBA挑戦を始めた1年目だった。2003年7月にダラス・マーベリックスの一員としてサマーリーグに参戦した後、デンバー・ナゲッツと契約を結び、トレーニングキャンプに参加。だがシーズン開幕前にカットされ、マイナーリーグのロングビーチ・ジャムに所属していた時期だ。短期間で栄光と挫折を味わった田臥勇太は、対談を通じて井上雄彦から励ましてもらえたと感じていた。
「自分がアメリカに踏み出した時に、井上先生が励ましてくれたというか、一歩踏み出すことのすごさとか大切さというのを陰ながら後押ししてくださっていたという印象を受けました。NBAやバスケの他愛もない話をしながら、『あっ、先生は僕を応援してくれているんだ』というのを感じました。ちょうどNBAのトレーニングキャンプを初めて経験し、言ってみればカットされるのも初めての経験で、そこからマイナーリーグがあるのを知ってロングビーチに辿り着いて…。そういう時期にお会いできて、タイミング的に自分の中では嬉しかったと同時に有り難かったですね」
その後、田臥勇太は2004年9月にフェニックス・サンズと契約し、その年のシーズンに日本人として初めてNBAの公式戦出場を果たす快挙を成し遂げる。残念ながらシーズン途中でカットされてしまったが、それ以降もNBAとマイナーリーグを行き来しながら2008年のサマーリーグまでNBA挑戦を続けていた。しかし同年8月に意を決して日本に帰国すると、JBLの栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)に入団し日本バスケ界に復帰した。帰国後は日本人初のNBA選手として常に注目を集める存在になり、現在40歳になりながらも現役を続け、長年にわたり日本バスケ界を牽引し続けている。帰国後は不思議とバスケ人生で転機を迎えるタイミングで対談や取材などで井上雄彦と会う機会があった。
「(お会いする度に)自分が年齢を重ね、経験を重ねていく過程を陰ながら見守ってくださっていたんだなというのを嬉しく感じていました。そしてその過程をプレーヤーとしてだったり、人間としてどう歩んできたのかをすごく分析をしてくださっていて、それが自分の中では新しいというか、嬉しいアドバイスになっていて、お話させて頂いて『やっぱり分かってくださっていたんだ』みたいな素直に嬉しさがありました」
まさに田臥勇太にとって井上雄彦の存在はバスケ人生を歩む上での道標になっているようだ。そして日本バスケ界の行く末を語り合える同志だとも感じている。
「個人的なことだけはなくて、Bリーグだったり、日本のバスケが世界と戦っていくにはどうすべきかだったりとかのお話もできたので、井上先生も常に日本のバスケについて考えてくださっているというのが改めて知れて、嬉しかったです。そういった意味では勝手ながら同志だと感じている部分がありますし、頼りにさせて頂いてます。お会いする度に頂く言葉の一言一句が貴重なアドバイスになっています」

熊代工VS山王工!?

田臥勇太がこれ程までに信頼を寄せるのは、対談で言葉を交わす度に井上雄彦のバスケ対する愛情と造詣の深さを実感しているからに他ならない。あとは何といっても『スラムダンク』! 田臥勇太が小学5年生の時から読み始め、『人生を変えた一冊』と公言し、現在でも愛読書になっているのだ。
「小学校5年生です。今でもはっきり覚えています。近くの公園で遊んでいて、友達が(第1巻の)単行本を持っていたんです。バスケ漫画というので読ませてもらったのが作品との最初の出会いでした。仙道と流川の1対1が好きなんですが、そうしたプレーシーンだったり、もちろんストーリーも面白かったんですけど、履いてるバッシュだとか格好だとかもすごいカッコよくて…。僕自身小学校高学年でファッション的にも憧れが強い時期で、でも高くて買えないけれど、漫画の中で描かれていたんです。もう引き込まれていきましたし、衝撃的でしたね」
それからの田臥勇太は『スラムダンク』を読みながらバスケに没頭する日々を過ごした。そして作中の山王工業のモデルとも言われている能代工業に進学し、高校1年から主力選手として活躍。卒業するまで3年連続高校3冠達成という漫画を超える偉業を成し遂げた。
「ちょうど高校にいる時に山王戦を読んでいたので、もちろん(山王工業と能代工業が)かぶりました。だから夏にOBが来るとかっていう話とかも描かれていて、ほんと一緒だよと思ってました(笑)。でも僕らというよりも、何年か前の先輩たちがモデルになっているのかなと思っていて、逆に僕らが憧れた能代が作中に…っていう不思議な気持ちと憧れが交錯しながら読んでいましたね。毎週楽しみでした。あの先輩は●●だよなとか、そっくりすぎる先生を見てまた笑ったり(笑)」

真っすぐすぎる野宮が
羨ましいです(笑)

有難いことに『リアル』も連載開始からずっと愛読してるという。
「車いすバスケを題材にしているというのもそうですけど、やっぱり井上先生のすごさだったり、魅力に引き込まれてしまうというか…。人間としての大事な気持ちの持ち方だったり、目標に向かう大事さだったり、仲間の大切さだとか、ちょっとした登場人物の言葉が深くてすごく面白いです。好きなキャラは、やっぱり野宮ですかね。不器用だけど熱いですよね。ああいう風に真っすぐになれたらいいなって羨ましく思ったりします」
そんな田臥勇太、車いすバスケも一度だけ経験したことがあるという。
「練習を見学に行って、バスケ用の車いすに乗せてもらったことがあります。でもボールを操れなかったですし、何もできませんでした。ほんとにすごい競技だなと思いました。今度しっかり試合を観てみたいですね」
現在の田臥勇太は2020〜21シーズンが開幕し、2002年11月にJBLでデビューを飾って以来、通算19年目のシーズンを迎えている。昨シーズンは途中で左ヒザの手術を受け、コートに戻れないままシーズンを終えていた。現在はリハビリに耐え、「自分が普通に参加してバスケができていることがほんとに嬉しいというか楽しいです」という状態まで体調を戻すことができ、高揚感を抱きながらシーズンに臨んでいる日々を送っている。
最後にYJ読者のためにメッセージをもらった。
「ここまで読んでくださってありがとうございます(笑)。ぜひ『リアル』を通じてバスケに興味を持ってもらえたら嬉しいです。Bリーグはもちろんですが、日本バスケ界の応援もよろしくお願いします!」
 田臥勇太、40歳。伝説はまだ終わらない─────。

MESSAGEFROM INOUE TAKEHIKO井上雄彦が語る田臥勇太の魅力

能代工に入る前から鳴り物入りだったし、入ってからも噂にたがわず凄いプレーヤーでした。とにかく展開が早くてオフェンスもディフェンスも圧倒的。第一印象は見えてるところがいっぱいある選手だなぁと。それこそ昔は日本人がNBAに行くなんてイメージすらできなかったけど、MLBでの野茂のように、田臥選手が現実にしてくれました。ありがとう。今でも、いろんな選手が田臥選手の背中を見ています。今シーズンも期待しています。

田臥勇太TABUSE YUTA

1980年10月5日神奈川県出身。173cm73kg。ポイントガード。背番号0。
能代工-ブリガムヤング大ハワイ校-トヨタ自動車アルバルク(2002年)。
2004年にはフェニックス・サンズと契約し日本人初のNBAプレーヤーになった。
広い視野と冷静なゲームメークは健在で40歳になった現在もBリーグ・宇都宮ブレックスでプレーしている。

TABUSE YUTA HISTORY

  • 1980

    10月5日神奈川県横浜市に生まれる。8歳からミニバスを始める

  • 1993

    横浜市立大道中に入学

  • 1995

    全国中学校バスケットボール大会で3位、自身も大会ベスト5
    進研ゼミのCMに出演(共演はニックスのパトリック・ユーイング)

  • 1996

    4月:秋田県立能代工業入学

    3年連続で高校総体、国体、全国高校選抜の3大タイトルを制し、史上初の9冠達成!!

  • 2000

    NCAA2部のブリガムヤング大ハワイ校に入学(2002年に中退)

  • 2002

    スーパーリーグ・トヨタ自動車アルバルク入団 新人王獲得

  • 2003

    7月:ダラス・マーベリックス(NBA)のサマーリーグに参加
    9月:デンバー・ナゲッツ(NBA)と契約
    11月:ABA(アメリカ独立リーグ)ロングビーチ・ジャムと契約

  • 2004

    9月6日 フェニックス・サンズ(NBA)と契約
    日本人初のNBAプレーヤーに!

  • 2005

    9月:ロサンゼルス・クリッパーズ(NBA)と契約
    11月:ドラフトされアルバカーキ・サンダース(NBAD)入団

  • 2006

    7月:ダラス・マーベリックス(NBA)のサマーリーグに参加
    11月:ドラフトされベーカーズフィールド・ジャム(旧ロングビーチ・ジャム/NBAD)入団

  • 2007

    11月:アナハイム・アーセナル(NBAD)入団

  • 2008

    7月:ニュージャージー・ネッツ(NBA)のサマーリーグに参加
    8月:JBLのリンク栃木ブレックス入団 6年ぶりの日本復帰!

  • 2009

    アシスト王、スティール王を獲得

  • 2010

    アイシンシーホースに3連勝しJBL初制覇 プレーオフMVPに輝く
    11月:日本代表としてアジア大会に出場、16年ぶりにベスト4進出

  • 2014

    ケガから復帰し、日本人選手2位の平均15.9得点。アシスト、スティール王を獲得

  • 2017

    川崎ブレイブサンダースを敗りBリーグ初代王者に輝く!!

TO BE CONTINUE...,

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